「ふつう」とは何だろうか

アダルトチルドレンを探究し追い続けて

はや20年の月日が過ぎた今でも

「ふつう」とはどんな感覚なのだろうと

思うときがある


ACの人は、幼い頃から

回りとの違和感を感じている

(少なくとも私はそうでした)

どうも、思考の仕方がおかしい


幼い頃であれば

「暗い」「おとなしい」

そんな、表現でしょうか

おとなしいから、おとなしくない

明るい自分に憧れました

でも、内面はどんどん

暗さにずぶずぶと沈んでいくのでした

まわりの同級生が、とてもまぶしく

たくましく感じたりしました

まわりの、子供たちは

はっきり言葉で表現します

でも、私は心の中でぼんやりと

物体を擬人化して脳内会話をしていました

(この、症状は今で言われる自閉とか、発達障害に一見みえます。けれど違うのですね
。家庭の秘密を漏らすべからず、という口封じが母親との暗黙の約束ごとのためです
)

外部に家庭の不満をもらすことは、
その、家族にいられなくなる、あるいは
裏切る、母親に恥をかかせる、愛情を失うことになりかねません
言えるはずもありませんでした

しかし、内面では普通にあこがれ

強烈に恋い焦がれながら

求めても、得られないもの

諦めるしかありませんでした


言葉は出しませんでしたが、

内面では、いろいろなおしゃべりをしていました

私の中には、私と会話する人物?で

満たされていました


時折、がまんしきれない衝動がわいてきたとき

私は実家の廊下の柱に

「くそばばあ」と、えんぴつでギリギリと

小さい字で書いていました


くそばばあ


何回書いたことでしょう

柱にえんぴつの芯を突き立てて

溝ができるほどの筆圧で

くそばばあ です  笑

最期にはとうとう見つかってはいたものの

怒られたという記憶はありません


煮えたぎるような気持ちをこめて、
地団駄ふむ気持ちで

書いた感覚がこの手に残っています

小学一年の頃です


書くということが、

どれほど当時の私を救ってくれたか

今、ブログを書き続けているのも

恐らく、このくそばばあの落書き(心の叫び)のお陰でしょう


普通になりそこなった私は

ねくらな、裏街道人生を歩むわけです


たくさんの「助けて」というSOSを

残しながら・・・