何かを成し遂げようとするとき

「おまえなんかにそんな価値はない」

「おまえに出来るはずはない」

「おまえなんかに無理さ」

「あきらめろ」と

色々な裏の声が、にぎやかに

なってくることありませんか?


あるいは、何かを失敗したと思い込んだ時

「やっぱり、失敗しただろう~」

「ほら、みたことか」

なんて声も、お声がかかります。

私は二重人格かΣ(´□`;)と、昔は思っていましたが

実はちがったんですね

その声は、自分が相手に向かって

発してる声なんです。


え、びっくり~


表向きのベクトルは、自分に向いてるようですが、

これは、カモフラージュです。

カモフラージュに自分もまんまと騙されてしまっているんです。

好んでだまされてしまう。

常に、第三者委員会の声に

浸っていると、洗脳状態になります。

自分の良心が、第三者委員会によって

どす黒く侵されていきます。

常に、自分を軽んじているのが普通の状態であるならば、

相手を大切にするということの

意味がわかるはずもありません。

それって、美味しいの??(@○∀○@)


第三者委員会の声が大きければ大きいほど

実は、相手を軽んじたい欲求の声が肥大している

と思っていいかと思います。

例えば

「おまえには無理だ」という声が内側に発するエネルギーなら、

「あなたにも、無理なのよ」と、同時に
外へのエネルギーを巧妙に隠しながら
バランスをとります。

これらが、嫉妬心、猜疑心、といったものになるのではないかと感じるのです。

自分もあなたも、無理

このような閉塞した環境が、

いがいに慣れ親しんだものだとしたら、

カモフラージュを破るのは、難攻不落


自分を大切にする

そんな生易しい言葉で、片付けられるほど

自分も人も大切にすることは

簡単ではありません。


第三者委員会に打ち勝つほどの

意志を作っていくこと、大事です。

日々の生活の中で、

第三者委員会の言葉を聞こえたら

私を檻に閉じこめようとしてるんだねと

よしよしと、なだめながら

自分の心が本当に喜ぶものを

探していくことをおすすめします。


と、いっても、それは、

とても一人でやれることでは、

ないことだけは確かです。

私の場合は、

夢中になりすぎる(暴走ともいう)という短所はありますが

なんでも、一生懸命という長所で

乗り切った感はあります。

1節には、必死で、さ迷いまくったとも言います。

あははは(^_^;)