大昔のことです。

自分の生きづらさを持て余しくよくしていた頃、

「理想が高すぎるんじゃないの」

と言われたことあります。

あ、それは彼氏の理想とかそういうんじゃなくて、生き方の目標ですね。

うん、自分でもそう思っていたのですが、やめられない、止まらない
かっぱえびせん♪な高々な理想。


当時も特に天才的才能を持っていたわけでもなく、

世界征服を企んでいたわけでもなかったのですが

どちらかというと、人間関係ダメダメ

気の利いた会話が出来るわけでもなく

仕事もいまいち

やる気も3日と続かず

ダイエットも1日で挫折

向上心も、だれか棚からぼた餅落としてくれないかな~という程度 笑

そんな、ダメっぷりだったのですが、

理想だけはかなり高かった

どんな理想のイメージかというと

誰にでも愛を与えられる人であり
裏切らず、信頼され、ウソをつかず
限りなく優しい、人を楽しませ
穏やかに人を癒し、愛せる自分でいたい
どんな、ひどいことをする人でも
許し、愛でつつみ・・自分を犠牲にすることをいとわず

アホらしくなったので、ここらでやめときます(≧∇≦)
そんなお恥ずかしいイメージだったかなあと。

この究極じみた理想の私、
そりゃ、現実では叶わないわけなのですが、当時は大真面目に思ってたのですよ。

このイメージは、一体どこから拾ってきたのかといえば
本とか、アニメとか、ヒーローもの漫画とか

メーテル、キャプテンハーロック、
サイボーグ009、火の鳥、海のトリトン、ジャングル大帝、マクロスとか
幼い頃に見た、こんな世界への憧れを刷り込みのように強烈にいだいちゃったんです。

閉鎖的な外部と遮断された家庭でしたので
友達いない世界で、アニメ情報だけが入ってきて現実逃避の自己洗脳していったとも思えます。

これが、理想の原型となるには、もう一つ大きな理由がありました。

私自身が、こんな風に
閉鎖的環境から、救い出してくれる人を心から欲していたのですf^_^;

自分もこんな風に大切にされたい
愛されたい
助け出して欲しい
裏切らないで
守ってほしい

そんな子どもが母に抱いた夢・・・
現実で、がっかりすればするほど
それが、私の理想の肥大化になっていったのでした。。。

子どもが抱く夢って、そんなものです。


そんな夢の投影が、そのまんま、現実との折り合いをつけられないまま、
究極の理想の自分を
形成していった気がします。

(それで、精神年齢が中学生くらいで止まってる感覚があったんだなと今になって妙に納得したんですが)

んで、余計、まわりと意識がズレていき、生きづらくなる、という悪循環の中に入っていったと思えます。


んな、世界、ねーよ
ほら、遊ぼうぜ

と、手を取って閉塞された世界から
連れ出してくれる人を待ち続け、

しかし、待っても待っても、
そんな現実は起こらないわけでして(^^;;

自分で殻の打ち破り方さえ、
知らないまま、不自由な大人になっちまった

というのが、生きづらさの大元にあります。

高すぎる理想は、出来ない自分と、
必ずセットで発動します。

これが、いつまでたっても、
自虐をくり返す、無限ループとなり
自己肯定感が、どんどこ底をついてきます。

そんなかつての私のような人に言いたい。

理想、んなもん、ドブに捨てちまいな
と。

目の前にいる、今自分を大切にしてくれる人に気付こうよ。夢からさめようよ。

私たちは、いま、この現実を生きているのだから。


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