変わりたい、今の自分が苦しいままでは嫌だ
そう思うけれど、なぜか変われない・・・元の思考回路に戻っている
無意識であれば、ずっとエンドレス
やっぱり、今まで生きてきた生き方を捨てたくないと思うのが人というもの
苦しくても、一番安全な場所。
知らないところに行く不安より、今の苦しさを選んだほうが楽。
しかし、やっぱり、今までの方法を変えずに、
子どもを変えたいと思うのは
それは、無理なこと
感情が納得しないのは、
本当の自分の奥底にある感情が
閉じ込められてしまっていることに尽きるかもしれない
AC社会は、奇妙なことにこだわる。
自分のこだわっているやり方に固執する。
固執しているから、他者を攻撃したくなる
ネット生活が長いと、やはり、そのような人に出会うことも多い。
また特に発信型ブログを書いていると
不快ワードを入れているので
そこで、不快が入るのだろう
入ったとたんに、攻撃材料の証拠探しがはじまる
これは、ほとんど無意識レベルで行われる
無意識を意識化することの重要性を痛感する、
苦しいと訴えている割には、
人の背景を理解しようとしない
一方的に、糾弾してくるひとたち
変わりたくなければ、読まなければいい
そう思うが、そうもいくまい
変われない証拠探しをやり続けるかぎり、
AC回復の道のりは、遠いのではないかと
シミジミ思う昨今。
人を攻撃して、何をしたいのかよくわからない。
社会正義は、常に変動するものであること
ある人にとっては、正義でも、別の人にとってはただの暴力
そのことさえわからないで、
自分を変えることは出来ないのではないかと痛感する。
「普通」という言葉の信念の暴力こそ、最大の不可思議さを感じる。
自分の文章が、誰かに分からせたいと思う文書であれば
それは、暴力となんら変わらない。
ターゲットは投影に過ぎない。
本当に分からせたい人は、他にいるのではないか?
そんなことを思う。