前回、家庭のことを書いたので
続きで下の子のことを書きます。
不登校や発達障害の方のブログも
読ませていただいて
コメントを書きたくなるのですが
迷惑かもしれないので
自分のブログに書くことにしました。

下手な文章で読みづらいかと思います。
毎度ダイエットジャンルに
違うこと書いてます💦






下の子の不登校について

小学5年生から5年間に及ぶ
不登校が始まったのは
ゴールデンウィーク明けでした。
最初は腹痛を訴えて
登校しぶりが始まりました。
無理に学校へ連れて行っては
トイレにこもって吐く状態。
教師からお昼に電話があって
保健室にいる子どもを
連れて帰っていました。

小児科で胃薬や整腸剤をもらったり
胃がおかしいのかと
胃カメラまで受けました。
むちゃくちゃきれいなピンク色でした。
(この数年後には難病で潰瘍がたくさん
できてしまいましたが)

学校からは
「お母さんがいろいろお稽古を
させすぎているから疲れて
こんなふうになったのではないか」
「トイレに1人でいさせるわけ
にいかないから先生が見に行ったり
して時間を奪われて
他の子への授業ができなくて困ります」
と言われ
学校へ連れて行くのをやめました。

当時のお稽古は
上の子と一緒に寺子屋みたいな塾と
私と一緒に社交ダンスと
スイミングに行ってました。

上の子に先生からの話を言うと
そこまできついお稽古じゃないと思う
って言ってくれました。
学校側は家庭に問題があることに
したいんだろうなと思いました。
寺子屋では宿題しないので
怒られていたそうですが。
本人は行きたくなかったんでしょうね。

不登校の始まる少し前に
友達と一緒にゲームのお店へ行って
ゲームカードを友達が万引きして
警察に捕まって、
友達がお店からいなくなったので
捕まったことを知らずに
帰ってきたそうで
夕方警官が自宅にやって来て
事情聴取で
警察へ連れて行かれたことがありました。
友達がうちの子が盗むように言ったと
警察に伝えたそうで、真偽かどうかの
確認のために。
本当に友達に言ったのか
本人は言ってないとのこと
私も言わないだろうと思っています。
うちの子は私がフリマサイトで
ゲームカードを大量に買ったのを
持っていたので満足してたし。
その時はお年玉を持っていたので
欲しいカードは買えたはずだし。
警官が家に来た時は私は仕事中で
夫が一緒に行ったそうです。

学校側の気になる所は
その年のクラスの担任が
男性のガタイのいい威圧感ある人で
ヤンチャな男の子達を
その担任のクラスにまとめて
大人しくさせようとしたらしく
先生がいつも怒って生徒に注意してたので
怖くなった可能性もあります。
今考えると発達障害があったので
そういうクラスにいるのは精神的に
きつかったのではないかと。
うちの子は体格が良かったので
いじめられてはなかったみたいです。

本当のことは分からないですが。


夫からは私がフルタイムで働き
始めたせいじゃないかと
言われました。
また母親のせいにするのかと
思いましたが
下の子は私の事が大好き過ぎたので
家に居なくなったのが
すごく寂しくなったのでは、
とのことでした。
そういえば4年生の担任にも
ママが働きだした話をしたら
さみしいと泣いていたと
言われました。
びっくりするくらい純真です。

同じ時期に上の子が
原因不明の顎の痺れが起こり
半年ほど感覚がなかったことが
あります。
PET検査を二回受けました。
今考えると、
私がフルタイムになった
せいなのかもしれないですね。

営業だったので
自分のスケジュールを変えれたので
昼間に学校へ迎えに行くことも
できたのですが。



小児科から大学病院の精神科を
紹介されて連れて行くと

初診時、次回から話を聞くからと
アンケートを書くように言われ
話も聞いてもらえないまま
精神薬を処方されました。

親の判断だけで精神薬を飲ませて
良いのか悩んで
二回目受診時まで飲まず
アンケートだけ書いて持って行ったら

「服用しないなら来ないでください」
「服用しないと学校へ行けないですよ」
とため息をつきながら
高圧的に言われました。
医師はアンケートは参考にもらいますと
受け取っていました。
渡したくない気分でした。

以後、
病院不信になりどこへも
受診しませんでした。

「薬を飲んで学校へ行くということ」

その方が良かったのか
今でも分かりません。

飲ませなかった私が
子どもの小学生、中学生時代の
学校で経験する機会を奪ったのかと
思うと心苦しいです。

フリースクールも行きました。
公用のものは学校に戻すため
学校と同じようなスタイルだったので
子どもが行きたがりませんでした。
自由に来て良い民間の
フリースクールに在籍して
週1、2回行ってました。
勉強はせずに、大人とゲームだけ
して過ごしていたようです。

学校へ行かなくても大丈夫だと
伝えたかったので
その過ごし方でもOKでした。
いろんな世界を知って
欲しかったので。

担任からの連絡で
小学校の卒業式だけ登校しました。
友達がたくさん寄って来てくれて
本人もにこやかにしていたので
中学から登校できるかもと
うっすら期待しました。

私は校長室に呼ばれて
先生方へ
今までどう過ごしていたのかと
「薬を飲んで学校へ行くこと
を選ばなかった」
と伝えました。
フリースクールの事も
よく知らないようでした。

中学は
入学式とその翌日も行きましたが
3日目から行かなくなりました。
制服は用意したんですがね。

そのまま
中学卒業まで不登校が続きました。
フリースクールで勉強しないので
個別指導の塾に英語と数学だけ
通いましたが
しょっちゅう休んでました。
塾長がすごく良い方で無断欠席なのに
返金してくれました。
今の専門学校で勉強できてるのも
塾長が数学を教えてくれたお陰です。
英語はまったくダメでしたが。

高校は通信制でしたが
週2〜3回は通学する方式を
選択しました。
不登校経験の子が多く
通いやすかったようです。

もうすぐ卒業の18歳で
自分から発達障害だから
病院に行きたいと言ってきた時

そんなわけないやん
私の父親や母親や姉よりずっと普通に
人と対応できてるやん
って思いました。
友達も不登校まではいてたしって。

ASDという結果を医師から聞いて
「砂場でずっと1人で長時間遊んでいた」
ことを思い出し
ああ、そういうことかと
思いました。
幼稚園で雪が降ってみんなで外で
遊んでいたら、居なくなったので
探したら1人で教室に戻っていた
エピソードも
そういうことかと。

一つのことに気を取られると
周りを見れなくなる子でした。
なので出かけた時
付いてきてると思ってたら
どこかで立ち止まっていて
置き去りにしてしまったことが
何度もありました。

優しくて、大人しくて
ユーモアがあって
いつも機嫌が良くて
暴力を振るわないので
女の子にもモテていました。
結婚するっていう子が
たくさんいました。
大人からも可愛がられて
お菓子もたくさんもらいました。
私にも天使に見えました。

話し始めるのは早くて
初めて話した言葉は「これ」
次に話した言葉は指さして
「これちょうだい」
いきなり2語文でした。

その時指さしてた
「これ」っていうのはお菓子です。
いつもお菓子を入れてるお椀を持って
言ってきました。
天才かもって思いました。

「これ」が何にでも使える言葉で
指をさして何なのかを伝えると
知っていたのがすごいです。

しばらく「これー」と言いながら
いろんなものを
指さしていました。

最初の言葉が「ママ」ではなかったのも
感覚の違いがあったのかもしれません。

そういえば夜泣きがひどかったです。
赤ん坊の頃から昼夜逆転していたのかも
しれません。
幼稚園位で夜間に
泣かなくなりましたが
気がつくと夜起き上がって
布団の上に座っていました。

幼少期は体幹が弱く、
よく椅子から落ちていました。
滑り台や階段からも落ちて
怖い思いをしました。

社交ダンスの
リズム感は私より良かったですが。

本人はASDだとは思っておらず
注意欠陥型のADHDだと思っていて
不注意で困っていたので
受診したかったそうです。
雑音が入ってくると集中できなくて
大事なことが抜けてしまうそうです。

ASDで薬を処方され服用してましたが、
対して効果を感じなかったようで、
受診も面倒になったらしく
今は通院していません。

通院時代、
休学して昼夜逆転していたので
社会復帰用のプログラムに
参加してみたらとの勧誘もありました。
本人は
そんな必要はないと
頑なに行きませんでした。

車の免許も合宿でとって来たので
社会性はなんとかなるかもしれないと
思いましたが、
車の運転は全くしていません。

高校卒業後、一度専門学校へ行き
2ヵ月経たずに授業についていけず
休学しました。
学習障害もあったのかもと
不安になりました。
検査結果が若干低かったので。
文章より図解の方が理解できる
ようです。
小学校でも宿題をせず
授業も上の空っぽい感じでした。
今考えると
高校でしっかり理科の勉強を
していなかったのに
医療系の専門学校へ行ったので
ついていけないのは当たり前だった
のですが。

次の年に情報系(ゲーム)
の専門学校へ
入学してからは
水を得た魚のように
毎日生き生きと学校へ通っています。
不登校時代に他の子の何倍も
パソコンでゲームしていたので
得意分野ですもんね。
少し安心しました。

私は子どもにゲームさせない派の
親だったので
3DSを持たせていなかったら
友達と遊べない状況になって
小学校5年の初めに持たせたらすぐ
不登校になったんです。
もっと早く持たせてあげたら
友人関係が良かったのかと
少し後悔しました。
上の子はゲームが無くて良かったと
言ってくれてますが。
やってたら時間を奪われていたからって。


マイルールがきつい私も
発達障害がありそうです。
仕事に没頭したらやめられなくて
毎日朝まで残業とか
普通じゃないですね。
漫画やアニメの続きを知りたくて
すぐ徹夜してしまうし。

あの実家の血筋だしね。
夫からはあの家で
まともなのはお前だけって
すごいよなって言われてますが。
これを義母に言われると
ショックだったんですけどね。

これから子どもが社会に出て
どうなるのかは分かりませんが
今まで通り見守っていきます。

長い文章を読んでいただいて
ありがとうございます。
(書き足したのでますます長くなりました)