大阪で生まれて1歳になる前に

父の仕事の都合で神奈川へ

 

ずっと、ここで育った。

 

たくさんの思い出がある場所。

良い思い出もそうでない思い出も。

 

でもね、ここじゃない!

 

ずっと思っていたこと。

 

結婚後もご縁があって実家のすぐ近くに住んだ。

 

主人の実家を2世帯に建て替えて

2階が私たちの住居となった。


玄関と階段は共通で、その他は別にした。

 



小さな頃から お家!には、

とても憧れを抱いていて、

小4の頃に実家を建ててもらった時に

自分の部屋が持てた時は興奮して

眠れなかった事を思い出す。

 


今度は、自分達のお家を建てる!

それはそれは、楽しみでどんな間取りにしようか?ワクワクのオンパレード!

 

でもね、ちょっとした事件もあった。


義理の父は林業に携わるお仕事をしていて、

ずっと前から材木を調達したり

お気に入りの宮大工さんを確保したり

着々と準備を進めていたのですよ!


でも、間取りに関しては全く興味がない!

と言うより、家はこういうもんだ!が強い人!

 


噛み合わない。

 


何回も話し合いをした!


でも噛み合わない。

 


下の間取りに上は合わせろと言う!


なんでそうなるの?


冗談じゃない!

 


設計士さんに頼んで図面を起こしてもらった。

何とかお互いに妥協点を見つけての着地点に

落ち着いたのだが、

義父は立て替える前の間取りと

何も変わらない要望を出したので

私たちが何とかそれに合わせる形をとった。


私の母と同じ歳。


ここに、何とも言われぬ共通点を見つける。

 


何とか着工に入り、

だんだんお家が完成していくのがとても楽しみで、時間ができると現地に何度も足を運んだ!

 


そして、ある日!

何の相談もなく玄関扉が付いていた。


は?


何これ?


外観に合わない扉・・・!ダサい!やだ!


速攻!義父に確認した。


いいべ!と言われた・・・。

 

良いわけがない!

そのことを伝えると、

何が気に入らないのか?・・・わからない様子。

 

そう!

最大の問題は、

長年、義父の言うことに逆らう家族がいなかったと言うこと!

なので、義父としては、自分が良いと思ったものは家族みんなが同意しているものと思ってきたのだ!

 

なので、初めて”嫌だ!”と、

言った私の意見は訳がわからなかったのだ。


無理もない。

 

義父はお嫁に来る私をとても可愛がってくれた。

義父にとっても私にとっても嫌な出来事となってしまったが・・・、


今でも思う。


自分が嫌なことは、

嫌だと伝える事が出来て良かったと、

そしてちゃんとお互いに納得いく形をとった事が出来た事。

 


だから今でも何一つ隠すことなどせず

本音で向き合える関係でいられている。

 


ありがとう!お義父さんお義母さん!


 

話は戻って、

ここじゃない!という違和感を40年以上持ち続けてきたのだが、ようやっと変える選択をした!

 

変えて1ヶ月が経とうとしているが、

我が家なのに、いまだに借り暮らし感がしている。


徐々に慣れていくのだろう!

 

田舎からちょっと都会に来た。


人が多い。


地元に無かったお店がいっぱいある。

 


ここに来るまでにたくさんの人のご縁があった。


自分で考えることをたくさんした。


自分で出来ないことは、できる人にお願いした。



半ば諦めかけてた・・・環境を変える選択

 


すべて意味があることをしている


自分が思い描いた人生を送っている。


 

40年以上、変えたいと思った環境を

半年ほどで叶えている。


動こうと本気でおもったら動けるのだ!


その思いに誰かが手を差し伸べてくれるんだ!

 

これまでも、

これからも自分で決めて人生を歩んでいくんだな!