七つ転んで恥のかき捨て -3ページ目

七つ転んで恥のかき捨て

名前はタバスコ、だけど人間は甘い

昨日、大掃除中にピンポンセットを見つけた。

白い発泡スチロールの箱に「ピンポンセット」と私のきちゃない字で書いてあった。

開けると、なんと!ピンポン玉2個とラケット(赤と黒)2本がが入っていた。

ああ、そういえばヒカリと何度か遊んだことがあったな。

我が家のダイニングテーブルはでかいんです。
長さが220センチ以上、幅が95センチほど。

十分卓球台になりえるんです。

で、このテーブルでヒカリとピンポンを楽しんだことが数回あったにゃーと遠い目になるタバスコ。

ピンポンって楽しいですよね。

今度、男と二人で温泉に行くようなことがあれば、温泉ピンポンを是非してみたいと夢見るタバスコであります。

浴衣姿の不倫男女カップルのピンポンに打ち興じる姿…

いやー、情緒たっぷりな情景ですねー。

おっと、話がわき道に逸れました。


想像してみてください。
掃除中に偶然ピンポンセットを発見したあなたは、猛烈にピンポンがしたくなるに違いありません。
わかりますよね。「うん、うん」と画面に向かって強い共感のうなずきをされているあなたをタバスコも容易に想像できます。


ピンポンセットを偶然見つけてそのまま見過ごせる日本人がどれくらいいるでしょうか。

だから、したさ、ピンポン、ひとりで。


まず、ラケットで床に撞いて遊びました。
これは全然おもしろくない。
次に、ラケットで天井に向けてひとり羽子板みたいにして遊びました。これはやや楽しかった。
連続して何回撞けるかを数えたりして、うっすら汗もにじみました。
次にテレビの画面を相手にして、床にワンバウンドさせての打ち合いをしてみました。

おお、なかなかエキサイティング。

画面上には、オダギリジョーや岩松了などがおとぼけに相手してくれているし。

しかし何度かしているうちに、ピンポン玉が逸れてテレビの後ろ側にお隠れになってしまった。
しまった!
埃まみれのそこからピンポン玉を取り出したら、掃除を終えたばかりの部屋の再掃除が必要になりそうだったので、潔くピンポン玉をあきらめる。
残り一個の玉は貴重だ。

ううむ。もうテレビ相手の打ち合いという危険なプレイは出来ない。

最終局面である。
硝子窓を相手にするしかあるまいて。

しかし、なかなか難しいよ、これ。

ガラス窓に向かえる位置にはほとんど巨大なテーブルが占領しているわけだから、床にワンバウンドさせるスペースがにゃいのだ。

テーブルにワンバウンドさせた玉をガラス窓に当て、その玉が再びテーブルにワンバウンドして私の打ち返せる位置にまで戻ってきてくれないとこのプレイは続行できないわけである。

なかなか高度なゲームに発展してきたな…

よしっ挑戦してやろうじゃないか。

狙い定めるタバスコ。
睨み返すガラス窓。

行くぞ。
来い。


白熱のラリー展開。

おお、エキサイティングじゃ。

なかなか楽しい。

ゲームは、やはりある程度の難易度があってこそ没頭、興奮を導くものであるのだな。

気がついたら、大汗をかいていた。興奮のあまり、テーブルに何度か腰を打ち付けたりして痣も作っているではないか。

はあ はあ はあ・・・

荒い息がひとりのリビングに反響する。

ヒカリ、お母さんは大丈夫だ。

ピンポンもあるし、不倫も無きにしも非ずやもしれぬ。
なんとかひとりで頑張ってみるよ。
心配無用じゃ。

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姫野カオルコ様
初めてお便りいたします。
私の年齢は50歳。(貴女様とほぼ同年齢)
私の出身地は京都。(  〃 ほぼ同郷)

ということとは無関係に貴女に強くシンパシーを感じる人間としてファンレターを差し上げてみたくなりました。
私は、わりとファンレターなるものをよく書くタイプのようです。
筆まめなんでしょう。
エレファント・カシマシの宮本浩次くん、女優の小林聡美さんにかつて出したことがあります。レコード会社とか事務所宛なので両氏のお手元に届いたかどうかは不明です。
お返事いただけていないので。
作家の山田太一様は、17歳のとき(「それぞれの秋」放送時)からの大ファンなのですが、2001年6月大阪での講演会の折、スタッフ経由でファンレターをお届けし、翌々日にファンレターお礼の直筆のおはがきが届きました。
自宅のご住所が記されていましたので、その後折りに触れつまらないファンレターを数回お出しし、その都度律儀にお礼のおはがきが届きます。お仕事の邪魔になるからもうやめようと思うのですが、どうしても思うところをお伝えしたいような心情に陥ることが半年に一度くらいあり、それでも我慢して、年に一度くらいなら許されるだろうと勝手に自分で納得して差し上げてしまいます。
手許に山田さんからのお礼のはがきが7通ございます。(あらら、一年に一度じゃなさそうですね)
山田太一関連サイトをサーフィンしているうちに私は、「日本一の山田太一ファン」であろうと思われる人を発見しました。そう思う理由はちゃんとありますが面倒くさいので割愛しますが、多分、おそらく、ほぼ間違いなくその人は日本一の良い山田ファンでいらっしゃるだろうと私は睨んでいます。

で、ですね。
私はもしかしたら日本一のカオルコファンなんじゃないだろうかとふと思ってしまいました。順位付けの基準は何かと申し上げれば、「シンパシー度」です。
貴女様の著作を全て読み込んでいらっしゃるファン(読書量日本一)とか、繰り返し読むファン(読書時間日本一)とかには私はなれません。
量は数字に置き換えられますが「シンパシー度」などは思い込みによるところが大きいので、勝手に思わせておいてやってください。
貴女にシンパシーを強く感じてしまうのです。
『貴女』と作家姫野カオルコの間には多少の距離はあるでしょう。姫野カオルコという作家と、彼女の著作物の中に現われる作家の分身と思しきキャラクターの間にはある程度の距離はあるでしょう。一応それは了解したつもりの上で、貴女に強くシンパシーを感じてしまう。

貴女は幼少時の、少女時代の、青春期の記憶をたくさん保有してらっしゃいますね。
些細な、取るに足らない記憶の断片を呆れるくらい残している人だな、と思うことがあります。
記憶力がいいとか悪いとか、能力の差としてもあるでしょうが、あなたが残している記憶の片隅性というか、「なんでこんなことをこんなに細かく憶えてるねんな、こいつは!」というような記憶の残し方にシンパシーを感じます。
私はよく古い友人に、「なんでそんなことを憶えてるねんな、あんたは」と呆れられます。記憶力がいいのか?ま、悪くはないんでしょうが、記憶の得意分野が限定されています(私の場合は)。ちっとも生活の役に立たないことばかり憶えているのです。生活に役に立ちそうな、ある時代の物価指数だとか、歴史上イベントの年数は不得意です。ですから大学受験時には世界史の年代を覚えるのは不得手でした。「会合の予算ないのかコッペにクスリ」(1543年コペルニクス地動説唱える)などのように迂遠な覚えかたで何とかしのいできました。概ね数字関連には不案内です。
貴女の記憶の片隅性に、強くシンパシーを感じます。
「そやねん、こんなこと覚えててもしゃあないことばっかり憶えてるねん」と自嘲し、自嘲している風な貴女のエッセイの行間から漂ってくるものにシンパシーを感じてしまうのです。
とはいえ、貴女は「覚えててもしゃあない」記憶の断片を作家の手でエンターテインメントに昇華させ、多くのファンを楽しませ、あなたの生活の糧を生み出してらっしゃるわけだから、ちっとも「覚えててもしゃあない」記憶ではないわけで、そこが書き手の貴女と読み手の私の大きな大きな違いなんだけど、普通の主婦読者であるところの私にはその違いがあまり認識できず、「ああ、私といっしょやわー、この人。だれ?姫野カオルコか。ものすご私に似たはるわー」とシンパシーを感じてしまうわけです。

貴女は骨太らしいですね。
骨太が男と縁遠くさせているらしい、との感懐をどこかで述べてらっしゃいました。
私は幸いなことに骨太ではありません。
ぽっちゃり、ふっくら系です。私を抱きしめたことのあるごく小数の異性から「柔らかいからだやなぁ」もしくは「柔らかいからだですね」と言われたことがあります。
ですから貴女が漏らす骨太な女の悲哀に関してはシンパシーは持てません。
でも、「その気にさせない」という点において、貴女がエッセイで語っているところの、あるいは自伝的内容であるとあなた自身が(冗談半分で?)告白している小説の中で語っているところの、「(異性を)その気にさせない」特性に対しての悲哀には強くシンパシーを感じます。
かつて美少女作家と謳われた(という噂を聞いたことがある)貴女とは違って、私は私の人生で美少女などと呼ばれた時期は皆目ありません。
(美少女あるいは美人系統でありながら)骨太体質が男と縁遠くさせていると貴女は嘆いておられましたが、骨太ではない私も別の理由(それは美人ではないということだけではない何物か)で男とは縁遠い女の一生でした。(しかしながら、最低数の男とは幸か不幸か縁を成し結婚して一女を儲けましたが。)
おもろい女と言われることはあっても、なぜか、どうも「(異性が)その気にならない」体質を持っているようです。その点において、貴女に強くシンパシーを感じるのでございます。

「ハルカ、エイティ」を294ページまで読んでいるところです。
「しょがない。ハルカは思った。うちは、しょがない、と。」

ふむ。しょがないんでしょうね。

248ページ。
「抜かしていた女の部分」が「抜けてましたでーっ」と「あとで追いかけ」てきてくれるのかどうか。いやしかし、希望の光は灯りました。

大変おもしろく読ませていただいています。
こまごまと賞賛すれば尽きません。でもそれはきっともう私以外のたくさんのカオルコファンによって貴女にはもたらされていることだろうと思います。

私は、ほぼ貴女と同年齢のほぼ同郷の女が貴女に抱いているシンパシーについてお伝えしたかっただけです。

あ、もうひとつだけ。

私も高校生のときにフランソワーズ・アルディを知りフランス語の歌を歌えるようになりたいと思い、大学では選択語学にそれだけの理由でフランス語を取りました。
結果は、あなたには遠く及ばず、フランス語で「80」まで数えられるだけのフランス語力を2年間かけて習得したに終わりました。

親愛なる姫野カオルコ様
ほぼ同年齢のほぼ同郷の同性として、今後の更なるご活躍をお祈り申し上げます。
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←一葉さんの日記を読み進みながら、すてきな「一葉論」を展開してくださる森まゆみさん。








人間講座「こんにちは、一葉さん」第3回、『明治25年2月4日 雪の日』
では、一葉さんの秘めたる恋のお話でした。
思慕の人は、新聞記者であり、小説家であった半井桃水。

小説家を志す20歳の一葉は、桃水を師として習作を携えてたびたび桃水を訪ねていきます。
一葉の心の中には桃水への敬愛から思慕への思いが育っていきます。

明治25年2月4日、前日に伺いたい旨のはがきを出していたところ、「今日、いらっしゃい」という葉書が桃水からも届く。その偶然さえ恋しり初めし一葉には感慨深い。

一葉は雪の中を訪ねて行きます。
一人住まいの男所帯の部屋を小説家の目で観察する一葉さん。

お汁粉を振舞う桃水さん。
こんな雪だから泊まっていきなさい、と桃水は言う。自分は別のところへ行くから、と。
でも、一葉さんは結局帰るんですけどね。
桃水は車(人力車)を呼んでくれる。
帰途、雪のなか人力車に揺られて一葉は思う。
「いつの日かきっとこの雪の日のことを小説に書こう」と。

白がいがいたる雪中りんりんたる寒気をかして帰る。中々におもしろし。
九段あたり 吹きかくる雪におもて向け難く
頭巾の上に肩かけすっぽりかぶりておりふし目ばかりさしだすもおかし。
種々の感情胸にせまりて雪の日という小説一篇あまばやの腹稿なる。

24歳で亡くなるまでに、一葉さんは、この雪の日のことを小説にすることはできなかったようですが、この日の日記は、それだけで一篇の小説になっているようでした。

一葉さんが亡くなって16年後、彼女の日記が公開されると、その中に綴られた秘めたる恋も世間の知るところとなってしまいます。
一葉の思慕の人として一躍脚光を浴びることになった桃水は、「女史の気持ちにはまったく気がつきませんでした。彼女とは何もありませんでした」と言い切ったそうです。
そのことを、森まゆみさんは、「あっぱれな態度」とほめていました。
「火のないところに煙を立てたがるような男性が多い中」、友であり弟子であった一葉の名誉を守りぬいたのだろうと。
「貧しさの中で哀れに死んだと思われがちな一葉に、このように思う人があったことをよかったと思う」とも。
そして、「桃水とは何かあったのではないか、いや何もなかった、といろいろに言われていますが、私は、何かあってもおかしくない状況だったろうとおもうし、一葉さんの生涯に桃水と何かあってもそれはよかったのではないかと思う」と微笑みながら付け加えています。
そして、事実はどうあれ桃水が「何もなかった」と言い切ったことをあっぱれな態度、とほめているのです。

この人間講座は7回ありました。
貧しさの中、創作への情熱を持ち続け、けれど困窮して商いを始め創作どころではなくなる時期もあり、それでも、母と妹との女3人の生活は決して不幸なものではなかったという部分を、森さんは掬い上げるようにして語ってくださるのです。
明治という時代の中で生きた一葉さんが、生き生きと私の前に立ち現れるような語りに毎週わくわくさせてもらいました。


そして、大好きな劇作家永井愛さんが、一葉をまた別の一葉として私に見せてくださるらしい。こんなにうれしいことはない。

ヒカリが持ってきてくれた、公演広告のチラシの裏面の永井さんのことば。

「今回の芝居は、『書く女』一葉の自立に『読まれちゃ困る日記』から、熱く迫ろうとするものです。」

本来は「読まれちゃ困る」日記ですから一葉は日記ではかなり辛らつに人の悪口を書いている。
そして、桃水への恋情も日記により公になった。
でも、何よりもこの日記には鋭い人間観察があふれている。
当初は真情の吐露だったものが次第に人間観察へと比重が移っていき、それに連れて一葉の小説家としての名声も高まっていった…
と永井さんは書く。

そういう日記から一葉に迫ろうとする永井さんの意気込みの一端を聞かせてもらうだけで期待感はいや増してしまう。

ま、とりあえずは「たけくらべ」以外の小説も読んでみなくちゃね。
どんなのありましたっけ?(おいおい)