七つ転んで恥のかき捨て -2ページ目

七つ転んで恥のかき捨て

名前はタバスコ、だけど人間は甘い

私はちょいと小遣い稼ぎ程度に塾講師のバイトをしてるんだけど、主に中学生。


夕べの授業で、まいちゃんがお腹が痛いと言ってしんどそうだった。

あすかちゃんが、「ジュース飲みすぎちゃうか」とゆっていたが、まいちゃんは小さい声で、「あれ(マンスリーデイ)なん」とお腹を押さえながら言う。

かわいそうに、ものすごく痛そう。

私も中学のとき毎月生理痛に苦しんだのでよくわかる。
毎月保健室に駆け込んでいた。痛いのを我慢していて頭がぼうっとして倒れたこともある。

授業が始まっても辛そうなので背中をトントンと叩いて上げた。
私はこうすると結構気持ち良かったから。
まいちゃんは、「余計お腹に響いて痛い」と文句を言うのに、私に背中を向けて、「もっとたたいて」姿勢なのでたたき続けた。

「全然気持ちよくない」と口で言っているのにその姿勢でじっとしている
この子はそういうところがあるのだ。(露悪的?)
こっちは人生経験豊富なおばはんなので中学生ごときの、ことばと裏腹な気持ちなんぞ簡単に想像がつくってなもんだ。黙って背中をたたき続けてあげた。そのうちとうとう横になり始めた。相当痛いんだろう。椅子を二つ並べて。

私の場合、高校くらいまで生理痛が続き、そのあとなぜだか痛くなくなり、でもまた数年したら痛い周期がきて、またなくなって、ということを繰り返していた。
出産後は生理痛はなくなるって聞いてたけどそれは全然関係なかった。

そのようにたどってきた女の道であった。



夕べたまたま私が着ていた薄手のニットのセーターはもう20年近く前に買ったものだった。
インゲボルグのちょっとお高いもの。大事に着ていたら20年ももっている。そのセーターを中学生達が「せんせい、それ、かいらしいやん」とか言うので、「もう20年くらい前に買ったもんやねんで」って言ったら、「20年前?」と中学生は眼を丸くして言うのだ。それは彼女たちの生まれるずっと前の時間になる。
20年まえ私は既に30才だった。

どっぴょーんと改めて驚く。

52歳の私の女の道はもうそろそろ終わりかけている。
ここへきてまた私はお腹が痛くなったりする周期に入った。っていうかラストスパートって感じ?
ま、それでももう先は見えている。後わずかだろう。やれやれだ。

中学生諸君、まだまだこれから続く女の道。ごくろうさんである。

トントンと背中をたたいてあげていたまいちゃんのその背中には、余分な贅肉はまったくなくてTシャツの上からも肌の張りがわかった。

その肉体を携えて、輝かしい女の道を歩いていってくれたまえ。

先生はもうすぐ終わるだろう。

ま、そんなにさびしくもない。
どっちかって言うと、やれやれという気持ち。

やれやれ。



七つ転んで恥のかき捨て

まだ、先にはるか女の道が続いていた17歳ころのタバスコとクラスメートたちの姿である。
彼女らもすべからく52歳となっていることだろう。

おもろいおばはんは生きていく


おもろいおばはんは生きていく




ダンナは木曜日、遊びで大阪へ行っていた。
大学時代の友人に急に思い立って会いたくなったらしい。

友人とは夕方梅田で会う、それまでは一人で映画でも見る、という予定を聞くともなしに聞いていた。

もしかしたら、Sさんも呼び出して3人で飲むかも、というのも聞くともなしに聞いていた。(Sさんというのは大学時代からのダンナの永遠のマドンナである。)

で、その日の深夜(午前一時前)にダンナは帰宅した。最終の新幹線に乗ったらそういう時刻になるのだろう。

私はもう寝ていたんだけど、玄関のドアの音で目が覚めた。



おもろいおばはんは生きていく どこかのバカなダンナたち






ダンナが階段を上って私の部屋に来た。寝ている私を無理やり起こしてしゃべりだす。
誰かにしゃべらないでは収まらないような気持ちの動揺があるようである。

ショックを受けている模様。
Sさんに厳しいことを言われたらしい。
地方自治に携わるダンナを相手に、政治的な、彼女の見解を披瀝し、ダンナを一刀両断にしたらしい。
それは、ダンナのモットーとするところの対極にあるような見解。

ダンナは、彼女を論破できなかったことに打ちひしがれている。
「僕とは、全然違う考え方や。こんなにも考え方が違う女性になぜ僕は惹かれていたんやろう。」


ほとんど泣いているような口調。

非常にポテンシャルの高い女性で、人間は持てる能力の限りを尽くして生きるべきである、怠惰はもっとも憎くべきものである、という考え方の持ち主であり、それを実践して生きている人である。

ダンナは基本的に怠惰な人間である。
怠惰なくせにええかっこしいなので、理屈だけは人には劣らないと自負している。(妻から見たらそんなものなんの価値もないと思えるんだけど、ダンナはそこのところで自分のアイデンティティーを死守している風)

Sさんにそこのところをすべて攻撃されたようである。
そしてとことん動揺しまくっている。

妻に同じところは何度も攻撃されているはずである。しかし、こんなには動揺しなかったのではないだろうか。

私は、だけどそれを悔しいとかは思わない。そんなものだろうと思う。
夫婦で、相手の批判にいちいち動揺していたのでは生活していけない。ええ加減に聞き流すとか、聞こえない振りをするとか、まったく別次元の相手の欠点をあげつらってただの夫婦喧嘩にしてしまうとかで乗り切るわけである。

しかし、やはりマドンナの威力はすごいものである。
攻撃され、反論できなかった悔しさでダンナはしょんぼりしている。
そういう悔しさのあまり、彼女とは根本的に考え方が違うのだ、相容れるところがないのだ、と自分を慰めてみると、その先に彼の長年のマドンナ崇拝に揺らぎが生じ、それもまた彼を動揺させているようである。


動揺の二重構造に打ちのめされているのである。←これは私の分析による。ダンナ自身はこの構造には気がついていない。ただ、もう、マドンナの理屈に敵わなかったことを悔しがっている、と自分では思っているようである。

このように妻に分析されていることも知らないで、警戒心もなく、動揺をさらけ出しているダンナを見ていると、「ふーむ、なんなんやろ?」と思わずにはいられない。

人がいいのか、馬鹿なのか、素直なのか、可愛いのか。

こういうことの積み重ねの果てに妻の心に生じる「恐ろしきもの」をこの男は想像できないのだろうか。

ま、だけどね、あんまり馬鹿なので、馬鹿な子ほど可愛いという心境にならなくもないけどね。

え?もしかしてダンナはそこまで計算しているのではないかって?それはないです。そんなに頭が回る男ではない!(断言)




夕べ入浴中にはっと気がついたことがある。


マダム・タバスコのピリリな生活




「私は、50歳になって、おもろいおばはんとなっているらしい。おもろいおばはんであることは私の人生の成功ではないのかな」

ということである。

タバスコは若い頃から概して「おもろい女」と言われていた。
うら若き乙女である私に、男が捧げる賛辞がこれであったわけだ。
美しくもなく、巨乳でもなかったので、異性を振り向かせるには「おもろさ」しかないことを聡明なタバスコは感知していたのであろうか。
「おもろい女」といわれて喜んでいたのだから悲しい話である。
しかし、美しくもなく巨乳でもなくおもろくもなければ、もっと悲しい事態になっていたかもしれない。謙虚に、おもろい女であることに喜んでおいてよかったのだろう。

しかし、決しておもろい女を目指していたわけではない。これでも内面は繊細で感受性豊かで傷つきやすい乙女だったのだ。そういう本来の
持ち味は、美しい女に備わっていて初めて価値が認められるらしいというい事を聡明なるタバスコはわかっていたのである。
繊細さや豊かな感受性や傷つきやすさは豚に食わせてしまうが良い、と若き私は悟ったのであろう(ああ、やっぱり悲しい話や)。
気がつけば、すっかりおもろい女と成り果て、その評価に喜ぶ私が出来上がっていたのである。


マダム・タバスコのピリリな生活



そのようにして屈折しながら歩んできたタバスコのおもろい女としての50年。

若き日、屈折しながら手に入れたおもろい女としてのおもろさが、時をて50歳になって「おもろいおばはん」を形成したことは不思議な事態でも驚くことでも「はっと」することでもない。

はっとしたのは


「おもろいおばはん」はただのおもろい女とは違うのだ、という気づきである。
「おもろいおばはん」とはおばはんとしては間違いなく栄光である。
おばはんヒエラルキーの頂点ではないのだろうか。


タバスコは、この人生で栄光を手に入れたのだ。

これを入浴中の読書以外の時間(ちょうど左腕で右腕を洗っているときだったと思う)に「はっと」気がついたのであった。


ここに、タバスコは宣言する。


死ぬまでおもろいおばはんを全うしたい。

みなさん、見守ってね。

マダム・タバスコのピリリな生活