「アダルトチルドレン」
この言葉は最近やっと「子供みたいな大人」
との認知では無く「機能不全・毒親に育てられた大人」など、以前より理解されてきていると感じます
特に「毒親」は、私は凄いガツンとしたネーミングだなと感じました!
解りやすい
ここに訪れてくれたあなたは。
他人の顔色を伺いすぎて疲れていませんか?
「あなたは要らない」と言われないかヒヤヒヤしていませんか?
対立や喧嘩をしたくないのでつい相手に合わせてしまいませんか?
叱られたくないので良いなりになっていませんか?
人間関係に悩んでいませんか?
以前の私は全て当てはまっていましたよ
辛かったです。
そんな私が様々なプロセスを歩み、癒し、ながらセラピストを目指しています。
私の母は「毒親」でした。
親にコントロールをされて育てられた子、親がやりたかった、又は叶えられなかった、憧れていた等の理由で、子の意思を全く無視し、稽古事など、脅したり、叩いたり、子供が安心出来ないような、言葉がけをして、「あなたの為なのよ!お母さんはあなたの幸せのためにこうしているのよ」と責任を子供にどっしりと植え付けたりします。
これは毒親の特徴の1つです、他にも当てはまるものがありますが、今回はこちらのテーマをフューチャーしますね
子供は、親、特に母親からの愛情が欲しいので、顔色を見ながら、愛されたくて、一生懸命頑張ります。
子供はまだまだ他人に助けを求める事ができないので、生きていく為に、愛されたい為に、そしてお母さんの笑顔が純粋に好きなので、新たな課題を飛んで行きます。
そして、成功して「お母さん、お父さん、やったよ!」と結果を出すと、褒めてはもらえますが、「次も頑張りなさい」と、特にコントロールを強いる親は言います。
私は民謡を3歳から習っていました。
気が付いたときはもう唄っていた感じです。
少年の部で優勝すると、来年も優勝しなければなりませんでした。
1度、舞台が大きな場所で、驚いてしまって震えて上手く唄えず、4位になった事がありました、とても怖かった、またぶたれる、ゲンコツされるとそちらも震えてしまいました。
母は「何コレ?」と小さなトロフィーを見て言いました「もう2度とあんな失敗しないで頂戴!恥ずかしいったら!」と叱られました。
私には、失敗は許しては貰えませんでした。
中年の部(中学生~高校生)でも、優勝しました。優勝し続けました。
毎日、365日、練習を欠かしたことはありませんでした、泣いていても、長いサシ(尺)や掃除機の棒、木製のハンガー等で叩かれぶたれました。
そして、極め付きの母の口癖は。
「感謝しなさいよ」「あんたが優勝出来るのはお母さんのお陰なんだからね」
私は一生懸命感謝しました。
毎日唄いました、18歳を過ぎると大人の部になり、ライバル達がいっぺんに増えました。
なんせ私より何十年も長く唄っているのですから、上手いのは当たり前です。
そんな中でも、私は数々優勝へ近づき、江差追分けの部、日本民謡の部、北海道民謡の部、優勝を勝ち取ります。
そして母の言い付けに従い、看護学校へ入学、朝の5時から病院に住み込みで働き、夜中の救急車の対応、勉強、日曜日の1日勤務が始まりました。
実家から近くの病院に入ったので、夕方6時になって仕事が終わるとかけ込むように夕食を済ませ、自転車で実家に帰り、一時間唄の練習をしてまた病院へ戻る生活をしていました。
全国大会でも優勝を勝ち取りました、全国1位です。
20歳の時でした。この時NHKの民謡番組に出演しました。
そして、のど自慢にも出場、今週のチャンピオンになりました。
そのチャンピオンの中から選抜されたグランドチャンピオンのど自慢大会にも選ばれ、こんな田舎から、東京の渋谷にあるNHKホールで唄うことになるのです。
毎年恒例の人気番組です、母は大いに喜んでいました。
グランドチャンピオン大会では、準グランプリを獲得、芸能界からのスカウトが凄かったです、大きな聞いたことのあるプロダクション、松田聖子さんをスカウトした人から直接コンタクトがあり、とにかく来てくれと上京しました。
青木隆二くんが居たのを覚えています。
もう回りなんか見えてなかった。
私はいつまで唄えばいいの?ねぇお母さん、私、どうしたらいいの?ねぇ、早く教えて、どうしたらいいの?
母は「あんたが決めな」と良い放ちました。
私は既に自己肯定感が奪われていました。
「こんな私なんて…芸能界なんて…こんな私は幸せになんかなれる訳がない、身の程知らずだ」と、心の中に呟き、看護師として地元で働く事にしたのです。
母はいつも自慢していました「うちの娘が…ええ!ええ!本当に良い子で…そんな、私なんて何にもしてないんですよ~オホホ」
私は隣で黙って聞いていました。
ここまで読んでみて皆様はどう感じたでしょうか❔
私はこれが「当たり前」「正解の子育て」と認知していましたので、多分六年前にこのブログを見ても、???になっていたのではないかと思います。
民謡の呪縛は結婚して子供が産まれるまで続いたのでした。
さて、今の私がこうやってブログに書けるのは、必要なプロセスを歩んでやっとここまで来ました。
28歳で離婚、33歳で重度の鬱病になってしまったのです。
「死にたい」「消えたい」と日々思い、仕事に行けなくなってしまった自分は、ゲスで馬鹿で生きる資格等ない、価値が無い、そうだ…スカウトされた時に断ったから?チャンピオンになって良い想いをしたから?バチが当たったのだ…私が幸せになるなんておこがましい、死んでお詫びしたい…。
摂食障害があり、過食症になっていたので2ヶ月で15キロも太りました、太って醜くなった自分を責め、生きてる事を責め、詫びていました。許して欲しかった…お母さんに…。
そして、母に助けを、初めて求めました。
「お母さん…凄く辛いの、助けてお母さん、頑張っても仕事に行けないの!」と、母は「…もうその話はしないで頂戴、聞きたくない」と言われました。
この時に母に「死ね」と言われていたらきっと死んでいたと思います。
でも、「死ね」とも「助けるよ」とも言われなかったのでどうしたら良いか頭が混乱してパニックをおこし始めました。
今、こう書いていても、少しモヤモヤと心が、脳が、身体が反応しているのを感じています。
こうして育てられた子は、「自分の意思」が止まったまま成長しないのです。
大きな特徴ですね、「選べない」「優柔不断」「命令してくれる人を探す」「言いたいことが言えない」「断ることが出来ない」などの行動が見られます。
「自分の意思」が止まったままの自分、私で言うと七歳、小学1年生でしたね、この子が「インナーチャイルド」と呼ばれます。
七歳の子供の考えを持った大人です、気付いたのは何と35歳!ビックリ(°Д°)ですね。
ここから私の終わりと始まりになっていきます。
他人に自慢している母は。
「こんなに凄い子を育てたのは私なの‼」って気持ちよくなりますね、自慢の材料としては格好です。
子を持つ今の私にとって、その時の母は子供は自分を気持ちよくさせる「材料」みたいに感じますね。
今の私なら……「バッカじゃね!?子供に無理やりやらせといてさ、ぶっ叩いてさ、頑張ってんのは子供じゃん!?気持ちよくなりたいならテメェが唄えよ馬鹿が!」って叫びます
言えるようになったんですよ、あんなに怖かったのにね、頑張ったね私❤
「インナーチャイルド」を見つけましょう❤
そして心の中で優しく撫でてあげよう❤
よしよし、こっちにおいでと手を繋ぐ❤
私はあなたを叩かないよ、ぶたないよ、たくさん頑張って凄い凄い‼たくさん褒めてあげよう❤
こうして「自分の意思」を育ててあげよう❤
そして、心の中に居る、「お母さん」
怖いですよね、顔色を見ちゃいますか?ぶたれても良いように、頭に手をかぶせますか?
この怖い心の中のお母さんは「インナーマザー」と呼ばれます、とても怖いんですね。
許して貰いたくなっちゃいますよね。
その「インナーマザー」は、人生にとても大きな壁を、作り上げてしまうのです、それも自分でね。
さて‼「インナーチャイルド」と仲良くなって言いたいこと言っちゃいましょ‼
私なら~…バーカバーカ!大っ嫌いだクソババア‼お前が死んじゃえ~(>_<)‼(ちょっと過激かな😅)
でも「インナーマザー」なら死なないので大丈夫大丈夫👍
そして、言えた自分を褒めてあげよう❤
「言っちゃったね🎵私でも、言えるんだ❗」
本当によくやりました✨
こうして少しづつ、少しづつ
癒して行こう❤
癒しの作業は、まだまだ他にもたくさんあります
また、お伝えしていきたいと思います
今回書いたのは、私の人生の1つです。
また今度は、違う目線から「毒親」の呪縛の実例を書きたいと思います。