驚きました。
阪神タイガースの不動のトップバッター、赤星選手が引退を発表しました。
33歳と、まだまだ若かったのですが、持病の首の具合が良くなくて、今度同じ箇所を傷めると、不随になるかもしれないといわれ、決意したそうです。
阪神ファンなら誰でも知っている、走攻守そろった名選手です。
入団1年目から盗塁王のタイトルを取り、その後もあの、福本豊を髣髴とさせるような常に全力プレーで、私は彼のことが大好きでした。
毎年、盗塁数と同じ数の車椅子を寄付したり、若いのにボランティアに熱心でした。
熱い男と言う印象が強く、身体が小さくてホームランは少ないけど、間違いなく後世に語り継がれる名選手でした。
2番を打っていた藤本選手も移籍し、また時代が変わったような感じがしました。
とにかく、初めて見た頃から、「赤星」という変わった名前は、記憶にすぐ残り、水島信司の漫画の世界のように、名前が特急列車につけても似合いそうな赤星という名前で、赤いリストバンドをして、流星のように俊足で盗塁王なんて、できすぎです。
これからの人生のほうが長いでしょうし、またいつか、野球界の指導者として姿を見せてほしいと願います。
何度も感激するような場面で喜ばせてくれてありがとうといいたいです。
ところで、突然、職を失うとか、引退するとか、男が次の人生を選ぶときには、大変悩み、なかなか決断できないことが多いと思います。
赤星選手のように有名でもない、高給取りではない一般人は尚更です。
すぐにまた働かなければ、生活を維持できません。
選り好みなどできないまま、選択した職場はたいてい、以前いた役職付きの職場よりも落ちると感じるでしょう。
元部長とか、元上場企業だとか言っても特別扱いなどしてもらえません。
多くのリストラされた人たちは、自分も天下りできるならしたいと思うでしょう。
名刺が変わると、周りも自分も変わってしまうことも多いでしょう。
いつも自分にぺこぺこしていた人も、自分の会社に頭を下げていただけで、自分に頭を下げていたのではないということにも気がついたりします。
周りから、「メリットの無くなった使用済み製品」みたいな扱いを受けたりするかもしれないでしょう。
もしかすると家族にまで見下されるかもしれないです。
怖いですね。
特に、日本は核家族だし、余計不安です。
フィリピンの家族はそんなときは大変やさしいので安心です。
会社やめたら離婚とか言う妻はいないと思います。
私には、そんな不安がない分、楽観しています。
若い頃に、上場企業を首になり、貧乏で3日間何も食わなかったこともあり、その他ここに書けないことまで、たくさん苦労もしました。
最初に起業したのは20代でした。
何もわからずに始めて、そして何度か倒産や廃業を経験しました。
今となっては、若いうちに苦労したのは大きな財産だと思えるようになりました。
もし、今くすぶってしまってる人や、自棄を起こして希望の無い人には、「そんなことは誰でもあるし、またがんばりましょう」 といいたいですね。
大きな会社や有名な会社で勤めることが幸せだと感じている人も多いかと思いますが、逆に、そこをやめたから、呪縛を解き放ち、好きなことが出来る自由な人生があるという風に考えてほしいと思います。
私のお友達、フィリピン在住のTom in manilaさんがブログで私の言いたいことを私よりもわかりやすく書いていました。
いつも勉強になるブログですからぜひクリックしてお読み下さい
マニラの夜明け
人生は辛いことのほうが多いかもしれませんが、和らげる方法を今年ひとつ知りました。
旧友と再会したり、疎遠だった家族や親戚とか、自分を昔から知っている人たちと仲良くすることです。
そこには、あたたかい場所がいくつかありました。
その後、いつ会うとか約束することも無く、また、もとの生活に戻るだけですが、自分の歴史を確認し、思いやりの気持ちが生まれます。
幸せに暮らしている人には子供のときからの大事な旧友がいます。
私も年賀状でも書いてみようと思います。
大掃除して年賀状書いて新年を迎えるって言うのが素晴らしいことだと、やっとわかってきました。
阪神タイガースの不動のトップバッター、赤星選手が引退を発表しました。
33歳と、まだまだ若かったのですが、持病の首の具合が良くなくて、今度同じ箇所を傷めると、不随になるかもしれないといわれ、決意したそうです。
阪神ファンなら誰でも知っている、走攻守そろった名選手です。
入団1年目から盗塁王のタイトルを取り、その後もあの、福本豊を髣髴とさせるような常に全力プレーで、私は彼のことが大好きでした。
毎年、盗塁数と同じ数の車椅子を寄付したり、若いのにボランティアに熱心でした。
熱い男と言う印象が強く、身体が小さくてホームランは少ないけど、間違いなく後世に語り継がれる名選手でした。
2番を打っていた藤本選手も移籍し、また時代が変わったような感じがしました。
とにかく、初めて見た頃から、「赤星」という変わった名前は、記憶にすぐ残り、水島信司の漫画の世界のように、名前が特急列車につけても似合いそうな赤星という名前で、赤いリストバンドをして、流星のように俊足で盗塁王なんて、できすぎです。
これからの人生のほうが長いでしょうし、またいつか、野球界の指導者として姿を見せてほしいと願います。
何度も感激するような場面で喜ばせてくれてありがとうといいたいです。
ところで、突然、職を失うとか、引退するとか、男が次の人生を選ぶときには、大変悩み、なかなか決断できないことが多いと思います。
赤星選手のように有名でもない、高給取りではない一般人は尚更です。
すぐにまた働かなければ、生活を維持できません。
選り好みなどできないまま、選択した職場はたいてい、以前いた役職付きの職場よりも落ちると感じるでしょう。
元部長とか、元上場企業だとか言っても特別扱いなどしてもらえません。
多くのリストラされた人たちは、自分も天下りできるならしたいと思うでしょう。
名刺が変わると、周りも自分も変わってしまうことも多いでしょう。
いつも自分にぺこぺこしていた人も、自分の会社に頭を下げていただけで、自分に頭を下げていたのではないということにも気がついたりします。
周りから、「メリットの無くなった使用済み製品」みたいな扱いを受けたりするかもしれないでしょう。
もしかすると家族にまで見下されるかもしれないです。
怖いですね。
特に、日本は核家族だし、余計不安です。
フィリピンの家族はそんなときは大変やさしいので安心です。
会社やめたら離婚とか言う妻はいないと思います。
私には、そんな不安がない分、楽観しています。
若い頃に、上場企業を首になり、貧乏で3日間何も食わなかったこともあり、その他ここに書けないことまで、たくさん苦労もしました。
最初に起業したのは20代でした。
何もわからずに始めて、そして何度か倒産や廃業を経験しました。
今となっては、若いうちに苦労したのは大きな財産だと思えるようになりました。
もし、今くすぶってしまってる人や、自棄を起こして希望の無い人には、「そんなことは誰でもあるし、またがんばりましょう」 といいたいですね。
大きな会社や有名な会社で勤めることが幸せだと感じている人も多いかと思いますが、逆に、そこをやめたから、呪縛を解き放ち、好きなことが出来る自由な人生があるという風に考えてほしいと思います。
私のお友達、フィリピン在住のTom in manilaさんがブログで私の言いたいことを私よりもわかりやすく書いていました。
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マニラの夜明け
人生は辛いことのほうが多いかもしれませんが、和らげる方法を今年ひとつ知りました。
旧友と再会したり、疎遠だった家族や親戚とか、自分を昔から知っている人たちと仲良くすることです。
そこには、あたたかい場所がいくつかありました。
その後、いつ会うとか約束することも無く、また、もとの生活に戻るだけですが、自分の歴史を確認し、思いやりの気持ちが生まれます。
幸せに暮らしている人には子供のときからの大事な旧友がいます。
私も年賀状でも書いてみようと思います。
大掃除して年賀状書いて新年を迎えるって言うのが素晴らしいことだと、やっとわかってきました。