2012-01-08 03:43:58
テーマ:新しい価値観
● はじめに
さて、今日はPancake house でかなりヘビーな遅めの午後の昼食をとって
Bo's Coffeeに来ている。
とりあえず2012年が始まったわけで、メルマガの主催者からなんども発行しないと
休刊になりますよ、という通知が着てたのでそろそろ書かないとアカンな、と思っていた。
ふと今日メールをみると、日本の地元の幼馴染みの友達からメールが届いていた。
今年の年末は僕は毎年出席している地元での忘年会を欠席した。
ずっと帰らなかったからだ。
彼からの近況報告は、今回の忘年会は子供の教育の話で話題に花が咲きましたあ、
よく考えたらメルマガ最近出していないですねえ、
自分的には最近ちょっと仕事とかでも閉塞感があります、なんかこのままでいるのが
もったいないような気がします、というようなことだった。
彼ももう十年以上一足先に独立して仕事をやっているのだ。
それに彼は仲間内で一番結婚したのが早くて、大学を卒業すると同時くらいに
結婚したから中学、高校くらいの2人の娘さんがいる。
いつも地元に帰ったときに会う幼なじみのメンバーは5人くらいだけど、
僕が海外にいても、大体年末は帰るようにしているので、もう二十歳代のころから
ずーっと毎年夏と冬2回くらいはみんなに会ってたんだが、ここ2年は僕が
帰らないのでちょっと欠席気味だった。
昨年は個人的にも大きな変化がありーの、仕事もいっちょテコ入れして軌道に
のせないといけない時期にあったので、気合のこもった年だったし、
やりがいのある年だった。
年末ギリギリまで仕事をしたのはこれが初めてだ。
去年からは、仕事もそうだけど、家に帰ってからするべき自分の負担も増えたため、
これは今年もずっと継続していく。
要はそういう歳になったってことか、
前は、メルマガとかブログを書いたり読んだりして暇だったんだなあーと思う。
さっき真夜中過ぎに犬を連れて散歩から帰る途中、横を知り合いの若いT君が歩いて
通り越してった、彼は目が悪いからだいたい道であっても、そのまま気が付かない。
何してるの?帰る途中?って聞いたら、今からクラブ友達といくんで、ID取りに
行くんです、、って、、わー羨ましい、、よっぱらって、真ん中でポールダンス
しないでね。
おんなじ真夜中であるくのでも僕は、犬の散歩とかお茶しにいくのが精一杯
だもんな。
でっ故郷の幼なじみとか、日本の友人達が結構このメルマガで僕の生存を
確認しているようなので、年末もかえってないし、たまには更新する義務がある、
と思った次第だ。
まっ、いつもの調子で気の向くまま思いついたままだらだら書かせていただきます。
そういえば今年も年賀状というのが1枚だけ実家に来た。
ムカーし昔一緒に働いていた年配の方で、今でも東北から律儀に年賀状を送ってくださる。
で僕からの返信は海外にいるから、という言い訳をしながらメールでさらっと
失礼させてもらっている。
メールといえば昨年の僕のもっともヒットしたものは、Blackberryの師匠Mさんから、
Blackberryの機動性、実用性の高さを教えてもらい、さっそくBlackberry Curve
そして9900とステップアップしたことだ。
もはやBlackberryのない生活は考えられない体になっちゃった。
Blackberryというのはキーボードが打ちやすいとかハード面がいいのかと思ってたら、
そういうことではなく、Blackberryを買うとどんな安い機種でも、PUSHメールの
代名詞のようなBlackberry Internet serviceというSystemまるごとを体験できる、
ということだ。
似たようなキーボード形状のサムソンやNOKIAの携帯を使ったけど、全然別物だ。
って口で説明してももわからないから使って欲しい。
朝は真夜中前に出したメールが欧米時差の場所から返信が着ているかを
ベッドで確認して、朝食をとったら、お茶をすすりなフィリピンからのメールを
確認して、午後は大体日本宛のメールのやり取りを移動しながらやる。
車に乗りながら、メールがきたら確認して、車を止めて、返信しなきゃいけないのは
返信して、とまあいいんだか悪いんだか、とてもせわしないスタイルになちゃった。
おかげで夜になっても仕事の切れ間感がないから、オンとオフは
自分で無理やりお散歩とかWORK OUTと言って外にでていかないと
なかなかつけれない。
以前はもっとメールの返信が緩慢だったのだけど、結局仕事が増えると
いうことは、自分から出す連絡の数も増えていき、
Laptopでネットに繋げれるところまで行ってから返事しますだと、
物事の進み方が遅いということになり、処理ができなくなるようなきがしてきた。
強迫観念なのかもしれないな。
さらにはSKYPEでも日本のIP電話の番号をとれるから、そこへかかってきた電話は
フィリピンの携帯に転送するようになって、日本の人が普通に電話をかけてきて
普通に応対しているが、想像つかない場所にいたりする。
Blackberry とLAPTOPがあればほんとオフィスいらない、
と書くとカッコいいアーバンライフを疾走するNOMAD ワーカーと雑誌にでてきそうな
キーワードが並ぶけど、それは本質じゃないから。
基本はその人に会って、時間をかけて自分への信頼を積み重ねてもらって、
それでやっと電話なりメールが飛んでくるようになるってことだから、
人と人との出会いやつながりを毎日毎日手を抜かずに丁寧に対応してくしかない。
結局それしか本当に力をつける道はないと思います。
今年もだらだらテキトーに好きなときに書いてきますので、暇があったときだけ
読んでください。
僕も読むのは写真ブログとニュースだけにしたら、ずいぶんと他に回せる時間が増えた。
その代わり2chとかよんでるから同じことか、
● いいと思ったことしか最後まで残らないと思う、、
前からわかってたんだけどさ、結局すべての日常生活の上でのことって、
自分で決めたことか、決めないことか2つに1つしかないでしょう。
自分で選んでするのか、なんとなくやっちゃうのか、この人と付きあおう、
この仕事をしよう、どこかへ行こうとかそういうことは自分で意識して
能動的に行動していくことだし。
そうじゃないこと、家帰ってご飯はお母さんが作ってくれたやつだし、
服も誰かが買ってくれるし、仕事はいつもの仕事に行けばいいし、
友達もなんとなく周りにいる人とつきあっていく。そういうのはわりと
受動的な行動だ。
人ってそういう自分で選択してやることと、なんとなく流されてやってること
がぐちゃぐちゃ混ざりあった中で日常生活を送ってる。
自分でイイって思いながら行動を決めて、生きていくのって気を張ることだと思う。
たとえば親や兄弟は自分では選べないじゃない、だからこれは自分の意思
どうのこうのじゃなくて、ただ合わして死ぬまで付き合うしかないけど、伴侶とか
友達は赤の他人だから、この人と一緒にいつまでもいようっていうのは選択と
意思の力にのっかって行うことだと思う。
地元に残っている友達たちをみているとそういうの感じるんだなあ、
あんまりこれがいいっていうものがないっていうか、欲がないっていうか、
もちろんみんなそれぞれいろんな選択をしながら生きてるんだけど、
結婚したり、家立てたり、仕事を続けたり、
前置きが長くなったけど、僕はわりと自分で好きなことを意識して、それにそった
生き方をしようとしてるんだなあ、と。
学校をやめて、とか会社をやめて何かをします、とか結婚します、とかそういう時に
人はやはりなにか理想の生き方というかこれがいいっていうものを想像しつつ
意思決定をしているはずで、
こういうふうになりたいっていうアイデアが浮かばなければ、地方から東京の大學に
行こうとか思わないもんな。地元の大學で地元の友達と遊んで、地元の会社いけば
御の字だって
現状維持でも意思を持って、自分の人生を選択するのもそれはみんなやっている
ことだけど、それは人生の最後に自分でけつを拭くしかないから。
自分の望むように生きてそれがうまくいけば、それは満足のいく生き方だと
思えるし、やりたいことをやらなかった人は安定した生活を手に入れたけど、
そのかわり後で後悔をするのかもしれないし。
でもどちらがいいのかという基準はない。
自分の地元帰ると感じるんだけど、ご近所の暮らしをみてると、
たしかに安定していて、居心地よくて、いいことずくめなんだけど、
僕の欲しいのとははっきり違いますってのを感じる。
誰だって、故郷を離れて暮らしている人はそういうのを感じると思うんだけど。
あきらかに何が言いたいのかわからなくなったけど、仕事にしても自分の住みたい場所に
しても、付き合う人にしても、お互いに好き合うものがないと意味ないしおもしろく
ないし、続かない。
好きかどうかっていう選択の意思というのは、人生というステーキをピリッと美味しく
味付けるコショウのようなもんだと思う。
これが好きだから、俺はこういうことを仕事にして、こういう場所にいて、
この人が好きでこういう家族をもって、こういう死に方をしましたって、やっぱり誇れる
ようになりたいな。
今晩はご近所にあるSPAに行って490ペソで年末から凝りまくっていた肩や首を揉みほぐして
もらって体が軽くなった。
年末に家からこの街の端っこまで重い物担いで散歩したのが悪かった。
わりとちゃんとしたSPAで小奇麗な部屋で、ろうそくがともされて、環境音楽みたいのが
流れていたけど、これからお気に入りリストの一つに入り定期的に通うことになりそうだ。
僕は食べるもの、飲むもの、とか自分の好きなところをちょこっとずつ見つけて
ローテーションで回る。
そういう自分の好きな場所、好きな仕事、好きな人は自分の感性にひっかかる
ものだから、自然にそこに行くし、そういうことを中心に暮らしは回っていく。
それがフィリピンでもどこでも楽しいライフをエンジョイする方法だと思う。
だれでも好きなモノは苦にならないし、嫌いなものは選ばない。
だれでも選びとっているのだと思う。
● Workoutへの道、
まあBlogは更新しなくてもWORK OUTは変わらずやってます。
以前より時間の制約があるのだけれど、これだけはずっと変わらないでしょう。
僕が僕であるためのものだと思います、体っていうのは。
最近気がついたんだけどさ、やっぱジム来てる子らみてると多分仕事をきちっと
できてる責任感がある人が多いんじゃないかと、勝手な想像だけど。
運動している人ってみなそうだけど、やっぱ仕事終わって、疲れているところで
わざわざGYMくるって、心のなかに自分を律する一本の線かなんか通ってないと
こないよなって。
なにかを信じてやってるはずで、健康になるとか、お腹の脂肪をとりたいとか、
長く走れるようになりたいとか、筋肉付けたいとか、でそういう理想みたいのを
持つのってすごく生活に張りを持たせるじゃない。
たとえばこうバランガイで仕事のないタンバイ(スタンバイ)って呼ばれるような
男たちって、だらってしてるじゃない、一ヶ月、半年、一年たっても今と状況変わん
ないっていう閉塞感、その日その日をとにかく過ごせればいいって。
前そういう友達の男がいたんだけど、俺も車をもったり、そういう人生の花みたいのを
一度でいいから味わってみたい、って言ってた。
そういうやつは数千ペソが欲しくて人をナイフで刺しちゃったりする。
そういう人は仕事帰りにジムいくそのへんの会社員と違って、まず理想とするものを
持てない、持てたとしても、それに向かって毎日努力していこうという考えができない
わけでしょ。それはある種の目標に向かってなにかを訓練するというような経験に
乏しい人達。
そういう人はスナッチャーとかホールドアップしたりする。だってナイフや銃を
もつだけで目的達成できるから。
WORK OUTの話と全然違ってくるけど、
フィリピン人の経済を底上げするための方法って、そういうことじゃない。
公立の学校いったって、50人のクラスでテキストもなくて午前中で終わりみたいな
感じだと、何かの目的に向かって練習したり、訓練するという経験をできないまま
社会に放り出されてしまう。
仕事って、おんなじことを何遍もやって少しずつ覚えていくもんだから、
仕事にありつけないってのは、能力云々よりも自発的に同じ事を何回もやって
うまくなっていくっていうプロセスがかけているってことだ。
WORK outに通っている人たちが仕事できそうだってのはそういうこと。
最もみんな小奇麗な車のりつけてGYMにきて体も大きいし、英語しゃべってるから、
まともな学校に通った人ばかりだから当然だろうけど。
● 至福の瞬間
ひさしぶりに書いてみたこのタイトル、全然至福じゃないけど、この半年間ちっとも
興味深い写真がとれてない、カメラを持ってうろうろする時間がないのがその理由だけど。
まあ心に余裕がなかった証拠かな。
写真の枚数自体はとってたけど、全部人物だから、人様にみせるようなものでもなし、
最近ハンディカムというものを生まれて初めて買って、一所懸命つかおうとしてるけど、
まだまだいろんな操作方法とかを手探りで(マニュアル読めよ)探してる状況。
やっぱいい表情を切り取ろうと思ったらカメラですね。
● あとがき
去年は、いろいろとやることがあったけど、
まわりのいろんな人から善意をもらいました。
まあぼちぼちやるしかないですね、一月はやりすぎないようにセーブしていきます。
次書くのは6ヶ月後だったりして、、
マニラの夜明けVOL 431 2012年新年特別号
● はじめに
さて、今日はPancake house でかなりヘビーな遅めの午後の昼食をとって
Bo's Coffeeに来ている。
とりあえず2012年が始まったわけで、メルマガの主催者からなんども発行しないと
休刊になりますよ、という通知が着てたのでそろそろ書かないとアカンな、と思っていた。
ふと今日メールをみると、日本の地元の幼馴染みの友達からメールが届いていた。
今年の年末は僕は毎年出席している地元での忘年会を欠席した。
ずっと帰らなかったからだ。
彼からの近況報告は、今回の忘年会は子供の教育の話で話題に花が咲きましたあ、
よく考えたらメルマガ最近出していないですねえ、
自分的には最近ちょっと仕事とかでも閉塞感があります、なんかこのままでいるのが
もったいないような気がします、というようなことだった。
彼ももう十年以上一足先に独立して仕事をやっているのだ。
それに彼は仲間内で一番結婚したのが早くて、大学を卒業すると同時くらいに
結婚したから中学、高校くらいの2人の娘さんがいる。
いつも地元に帰ったときに会う幼なじみのメンバーは5人くらいだけど、
僕が海外にいても、大体年末は帰るようにしているので、もう二十歳代のころから
ずーっと毎年夏と冬2回くらいはみんなに会ってたんだが、ここ2年は僕が
帰らないのでちょっと欠席気味だった。
昨年は個人的にも大きな変化がありーの、仕事もいっちょテコ入れして軌道に
のせないといけない時期にあったので、気合のこもった年だったし、
やりがいのある年だった。
年末ギリギリまで仕事をしたのはこれが初めてだ。
去年からは、仕事もそうだけど、家に帰ってからするべき自分の負担も増えたため、
これは今年もずっと継続していく。
要はそういう歳になったってことか、
前は、メルマガとかブログを書いたり読んだりして暇だったんだなあーと思う。
さっき真夜中過ぎに犬を連れて散歩から帰る途中、横を知り合いの若いT君が歩いて
通り越してった、彼は目が悪いからだいたい道であっても、そのまま気が付かない。
何してるの?帰る途中?って聞いたら、今からクラブ友達といくんで、ID取りに
行くんです、、って、、わー羨ましい、、よっぱらって、真ん中でポールダンス
しないでね。
おんなじ真夜中であるくのでも僕は、犬の散歩とかお茶しにいくのが精一杯
だもんな。
でっ故郷の幼なじみとか、日本の友人達が結構このメルマガで僕の生存を
確認しているようなので、年末もかえってないし、たまには更新する義務がある、
と思った次第だ。
まっ、いつもの調子で気の向くまま思いついたままだらだら書かせていただきます。
そういえば今年も年賀状というのが1枚だけ実家に来た。
ムカーし昔一緒に働いていた年配の方で、今でも東北から律儀に年賀状を送ってくださる。
で僕からの返信は海外にいるから、という言い訳をしながらメールでさらっと
失礼させてもらっている。
メールといえば昨年の僕のもっともヒットしたものは、Blackberryの師匠Mさんから、
Blackberryの機動性、実用性の高さを教えてもらい、さっそくBlackberry Curve
そして9900とステップアップしたことだ。
もはやBlackberryのない生活は考えられない体になっちゃった。
Blackberryというのはキーボードが打ちやすいとかハード面がいいのかと思ってたら、
そういうことではなく、Blackberryを買うとどんな安い機種でも、PUSHメールの
代名詞のようなBlackberry Internet serviceというSystemまるごとを体験できる、
ということだ。
似たようなキーボード形状のサムソンやNOKIAの携帯を使ったけど、全然別物だ。
って口で説明してももわからないから使って欲しい。
朝は真夜中前に出したメールが欧米時差の場所から返信が着ているかを
ベッドで確認して、朝食をとったら、お茶をすすりなフィリピンからのメールを
確認して、午後は大体日本宛のメールのやり取りを移動しながらやる。
車に乗りながら、メールがきたら確認して、車を止めて、返信しなきゃいけないのは
返信して、とまあいいんだか悪いんだか、とてもせわしないスタイルになちゃった。
おかげで夜になっても仕事の切れ間感がないから、オンとオフは
自分で無理やりお散歩とかWORK OUTと言って外にでていかないと
なかなかつけれない。
以前はもっとメールの返信が緩慢だったのだけど、結局仕事が増えると
いうことは、自分から出す連絡の数も増えていき、
Laptopでネットに繋げれるところまで行ってから返事しますだと、
物事の進み方が遅いということになり、処理ができなくなるようなきがしてきた。
強迫観念なのかもしれないな。
さらにはSKYPEでも日本のIP電話の番号をとれるから、そこへかかってきた電話は
フィリピンの携帯に転送するようになって、日本の人が普通に電話をかけてきて
普通に応対しているが、想像つかない場所にいたりする。
Blackberry とLAPTOPがあればほんとオフィスいらない、
と書くとカッコいいアーバンライフを疾走するNOMAD ワーカーと雑誌にでてきそうな
キーワードが並ぶけど、それは本質じゃないから。
基本はその人に会って、時間をかけて自分への信頼を積み重ねてもらって、
それでやっと電話なりメールが飛んでくるようになるってことだから、
人と人との出会いやつながりを毎日毎日手を抜かずに丁寧に対応してくしかない。
結局それしか本当に力をつける道はないと思います。
今年もだらだらテキトーに好きなときに書いてきますので、暇があったときだけ
読んでください。
僕も読むのは写真ブログとニュースだけにしたら、ずいぶんと他に回せる時間が増えた。
その代わり2chとかよんでるから同じことか、
![]() |
| 送信者 シャーベット |
● いいと思ったことしか最後まで残らないと思う、、
前からわかってたんだけどさ、結局すべての日常生活の上でのことって、
自分で決めたことか、決めないことか2つに1つしかないでしょう。
自分で選んでするのか、なんとなくやっちゃうのか、この人と付きあおう、
この仕事をしよう、どこかへ行こうとかそういうことは自分で意識して
能動的に行動していくことだし。
そうじゃないこと、家帰ってご飯はお母さんが作ってくれたやつだし、
服も誰かが買ってくれるし、仕事はいつもの仕事に行けばいいし、
友達もなんとなく周りにいる人とつきあっていく。そういうのはわりと
受動的な行動だ。
人ってそういう自分で選択してやることと、なんとなく流されてやってること
がぐちゃぐちゃ混ざりあった中で日常生活を送ってる。
自分でイイって思いながら行動を決めて、生きていくのって気を張ることだと思う。
たとえば親や兄弟は自分では選べないじゃない、だからこれは自分の意思
どうのこうのじゃなくて、ただ合わして死ぬまで付き合うしかないけど、伴侶とか
友達は赤の他人だから、この人と一緒にいつまでもいようっていうのは選択と
意思の力にのっかって行うことだと思う。
地元に残っている友達たちをみているとそういうの感じるんだなあ、
あんまりこれがいいっていうものがないっていうか、欲がないっていうか、
もちろんみんなそれぞれいろんな選択をしながら生きてるんだけど、
結婚したり、家立てたり、仕事を続けたり、
前置きが長くなったけど、僕はわりと自分で好きなことを意識して、それにそった
生き方をしようとしてるんだなあ、と。
学校をやめて、とか会社をやめて何かをします、とか結婚します、とかそういう時に
人はやはりなにか理想の生き方というかこれがいいっていうものを想像しつつ
意思決定をしているはずで、
こういうふうになりたいっていうアイデアが浮かばなければ、地方から東京の大學に
行こうとか思わないもんな。地元の大學で地元の友達と遊んで、地元の会社いけば
御の字だって
現状維持でも意思を持って、自分の人生を選択するのもそれはみんなやっている
ことだけど、それは人生の最後に自分でけつを拭くしかないから。
![]() |
| 送信者 シャーベット |
自分の望むように生きてそれがうまくいけば、それは満足のいく生き方だと
思えるし、やりたいことをやらなかった人は安定した生活を手に入れたけど、
そのかわり後で後悔をするのかもしれないし。
でもどちらがいいのかという基準はない。
自分の地元帰ると感じるんだけど、ご近所の暮らしをみてると、
たしかに安定していて、居心地よくて、いいことずくめなんだけど、
僕の欲しいのとははっきり違いますってのを感じる。
誰だって、故郷を離れて暮らしている人はそういうのを感じると思うんだけど。
あきらかに何が言いたいのかわからなくなったけど、仕事にしても自分の住みたい場所に
しても、付き合う人にしても、お互いに好き合うものがないと意味ないしおもしろく
ないし、続かない。
好きかどうかっていう選択の意思というのは、人生というステーキをピリッと美味しく
味付けるコショウのようなもんだと思う。
これが好きだから、俺はこういうことを仕事にして、こういう場所にいて、
この人が好きでこういう家族をもって、こういう死に方をしましたって、やっぱり誇れる
ようになりたいな。
今晩はご近所にあるSPAに行って490ペソで年末から凝りまくっていた肩や首を揉みほぐして
もらって体が軽くなった。
年末に家からこの街の端っこまで重い物担いで散歩したのが悪かった。
わりとちゃんとしたSPAで小奇麗な部屋で、ろうそくがともされて、環境音楽みたいのが
流れていたけど、これからお気に入りリストの一つに入り定期的に通うことになりそうだ。
僕は食べるもの、飲むもの、とか自分の好きなところをちょこっとずつ見つけて
ローテーションで回る。
そういう自分の好きな場所、好きな仕事、好きな人は自分の感性にひっかかる
ものだから、自然にそこに行くし、そういうことを中心に暮らしは回っていく。
それがフィリピンでもどこでも楽しいライフをエンジョイする方法だと思う。
だれでも好きなモノは苦にならないし、嫌いなものは選ばない。
だれでも選びとっているのだと思う。
| 送信者 シャーベット |
● Workoutへの道、
まあBlogは更新しなくてもWORK OUTは変わらずやってます。
以前より時間の制約があるのだけれど、これだけはずっと変わらないでしょう。
僕が僕であるためのものだと思います、体っていうのは。
最近気がついたんだけどさ、やっぱジム来てる子らみてると多分仕事をきちっと
できてる責任感がある人が多いんじゃないかと、勝手な想像だけど。
運動している人ってみなそうだけど、やっぱ仕事終わって、疲れているところで
わざわざGYMくるって、心のなかに自分を律する一本の線かなんか通ってないと
こないよなって。
なにかを信じてやってるはずで、健康になるとか、お腹の脂肪をとりたいとか、
長く走れるようになりたいとか、筋肉付けたいとか、でそういう理想みたいのを
持つのってすごく生活に張りを持たせるじゃない。
たとえばこうバランガイで仕事のないタンバイ(スタンバイ)って呼ばれるような
男たちって、だらってしてるじゃない、一ヶ月、半年、一年たっても今と状況変わん
ないっていう閉塞感、その日その日をとにかく過ごせればいいって。
前そういう友達の男がいたんだけど、俺も車をもったり、そういう人生の花みたいのを
一度でいいから味わってみたい、って言ってた。
そういうやつは数千ペソが欲しくて人をナイフで刺しちゃったりする。
そういう人は仕事帰りにジムいくそのへんの会社員と違って、まず理想とするものを
持てない、持てたとしても、それに向かって毎日努力していこうという考えができない
わけでしょ。それはある種の目標に向かってなにかを訓練するというような経験に
乏しい人達。
そういう人はスナッチャーとかホールドアップしたりする。だってナイフや銃を
もつだけで目的達成できるから。
WORK OUTの話と全然違ってくるけど、
フィリピン人の経済を底上げするための方法って、そういうことじゃない。
公立の学校いったって、50人のクラスでテキストもなくて午前中で終わりみたいな
感じだと、何かの目的に向かって練習したり、訓練するという経験をできないまま
社会に放り出されてしまう。
仕事って、おんなじことを何遍もやって少しずつ覚えていくもんだから、
仕事にありつけないってのは、能力云々よりも自発的に同じ事を何回もやって
うまくなっていくっていうプロセスがかけているってことだ。
WORK outに通っている人たちが仕事できそうだってのはそういうこと。
最もみんな小奇麗な車のりつけてGYMにきて体も大きいし、英語しゃべってるから、
まともな学校に通った人ばかりだから当然だろうけど。
| 送信者 シャーベット |
● 至福の瞬間
ひさしぶりに書いてみたこのタイトル、全然至福じゃないけど、この半年間ちっとも
興味深い写真がとれてない、カメラを持ってうろうろする時間がないのがその理由だけど。
まあ心に余裕がなかった証拠かな。
写真の枚数自体はとってたけど、全部人物だから、人様にみせるようなものでもなし、
最近ハンディカムというものを生まれて初めて買って、一所懸命つかおうとしてるけど、
まだまだいろんな操作方法とかを手探りで(マニュアル読めよ)探してる状況。
やっぱいい表情を切り取ろうと思ったらカメラですね。
● あとがき
去年は、いろいろとやることがあったけど、
まわりのいろんな人から善意をもらいました。
まあぼちぼちやるしかないですね、一月はやりすぎないようにセーブしていきます。
次書くのは6ヶ月後だったりして、、












