紅白の三輪さんの話です
三輪さんといえば、「オーラの泉」で一般には知られていますが、私は昔から三輪さんは「すごい」人だな、(それこそオーラが違う!)と思っていて、本も何冊か読んでいたし、講演も聞いたことあるし、舞台も「デピット・ピアフ物語」を見にいったことがあります。シャンソンのコンサートも行きました。とてもレベルが高く感動的で素晴らしい、と思います。
これまで紅白に出られなかった三輪さんが出られる、しかもあの「ヨイトマケの歌」を歌われるということで、これは見なくては、と思って遅まきの年賀状を書きながら紅白を見ていました。
そのステージの衣装や照明、歌い方などがとても工夫されていて、さすがだなあ、と思ったのです。あの歌の持つ、パワーを伝えきりたい、という三輪さんの想いをとても強く感じました。
最近は親子間での愛情の在り方が問題となる事件も多いですね。
尼崎の事件ももちろん、首謀者の陰湿さも問題だとは思うのですが、一面では、現代の親子間、夫婦間、家族間のもろもろの人間関係も背景となっているような気がします。
首謀者の心の孤独さが他者の幸せを許せない、というねじれた精神構造になっていってしまってそしてそのことを何よりも本人自身が苦しんでいたともいえなくもない、ような気もします。
彼女のそばにたった一人でもいいから話を聞いてくれる人がいたなら、ああいう事件にはならなかったと思います。
その、たった一人の人もいてくれなかった心の寂しさがベクトルを誤ってしまったのではないでしょうか?もちろん、多くの方を恐怖のどん底におとしいれ、不幸に追いやったことは決して許されることではないです。
でも、彼女の心の闇の深さを思うと、哀れでもあります。
亡くなってからも無縁仏のひとりぼっちです。
子供に対する虐待事件も後を絶ちません。でも、最初から
虐待したくて産んでいるのではない、と思います。
弱い存在に対して本当の問題に立ち向う勇気の無さや弱さから「八つ当たり的に」暴力になってしまうのではないでしょうか?
もちろん、虐待を肯定するものではありません。
自分の想いのベクトル、を誤ってしまうことが大きな問題なのでしょう。
今、これを書いていて尾崎豊の「卒業」を思い出しました。
「卒業」の中に「俺たちの怒り どこへ向かうべきなのか」、確かそんな歌詞があったように思います。
思いのベクトル、意識していたいことです。