〇第四の消費
〇三浦展「第四の消費」発注。
あざとい男。なりふり構わずに。
かつての上司堤清二との対談を「消費」する。
堤は文学者の鬱憤をばらす。
経済界とマスコミのコンセンサスをひっくり返せば
明日がみえてくる。と。
〇戦前・国家のために。
第二は戦後の復興。
第三は個人の
そして
第四は「絆」のためにだと。それはパイオニアとしての
無印良品なのだと。
〇どーもインチキくさい。ぷんぷん。こーした時代か?
〇三浦展とはあの「アクロス」の編集長なのだ。
最近果敢に新刊本をならべる。
「アクロス」休刊以後他社に一時入り以後は現在の著作を
つづける。
〇70年代を一斉風靡した「Parco」他リテール改革(あるいは革命) も
バブル崩壊でとん挫する。
それでも「アクロス」は以後8年も継続している。1998年5月休刊。
〇逞しいが論理としてはは破たんだ。第一第二第三。
そして第四と。
「絆」とは東日本大震災以後の年末行事の清水寺の「詞」なのだ。
金曜日の深夜「百万円と苦虫女」蒼井優主演を
金曜日の深夜「百万円と苦虫女」蒼井優主演をみる。
「青春映画」なのだろうが。ひところの青春とは異質な歪んだ日常に彼らは放置され喘いでいる。
できの悪い姉。できのよい弟。姉の拘置所入りから家を出る別れ際から姉弟の途切れ途切れの「文通」が始まる。
4人家族。だがバラバラだ。ひとりひとりが自己維持に懸命な風景が食卓に展開している。
むきだしの個を状態とした現代。最後の最後の皮膜が「家族」なのに。
それが剥がされ弟とのか細い一筋の糸を紡ぎ出し姉は「旅」にでる。
自活。生活の放浪。白い時代はあかるいが澱んでいる。
桃農家で住み込み労働。村長の勝手な判断が姉を村の集会に引き吊りだし「桃むすめ」を強要する。「前科」があるから駄目だと告白し村を離れる。・村人の凶暴さは「砂の女」をおもわす。
・救いは住み込み農家の寂しい思いやりだ。
ホームセンター。役場で紹介され働きはじめる。大学生のアルバイトと一緒だ。過去を打ち明けた男は金をせびりはじめる。…女は「わたしなにやってんだろ」男との離別を決意する。
駅へ向かう姉。追いかける男。ふたりの思惑は交錯しない。おんなは歩道橋の頂で夕陽を背に雄々しく立つ。「風と共に去りぬ」のラスト・シーンだ。夕陽に薄い雲が流れていく。
皮膜を剥がされた個がのたうち廻る風景に日本の「青春映画」が変貌したのはバブル経済の破綻からだ。
「フーテンの寅」が叔父家族とまだ繋がっていた。(それもいまはない)
学級崩壊。家族崩壊。ささくれ立った日常を常態としている。「慣れ」がとつぜん不可解な事件や犯罪で白日の元に晒される。
突出でもなんでもないこーした歪んだ生活や生活基盤が事件を誘発しているにすぎない。久しぶりで「朝ナマ」。 田原総一郎が拓い
久しぶりで「朝ナマ」。
田原総一郎が拓いた討論(風潮)領域に翳りが見える。
ニュース・ソースを出せと迫る司法に対し田原は「報道の自由」を盾に抗する。
「朝ナマ」もナマではないと番組のはじめに断りが付く始末だ。
「微妙」な発言を阻止できないからだ。
「TVタックル」しかり。これは自主規制ではない。「規制」だ。…(大事)
時代に合わないTV局の許認可権限を総務省が持つ意味が問われるべきだ。
日本からGoogleは生まれない。日本から「内部告発channel」は生まれない。
いつまでPCに鎖を付けて置くのか?
櫻井よし子が明快だ。いつでも明快だ。国家意識がないからcardが造れない。持てない。軍事と外交は国家の基盤だと。
(余談)「世界史の構造」柄谷行人著作に対し藤原書店(良雄)が討議雑誌を編纂している。・イマニュエル・カントの「永遠平和のために」…を心細いとしても旗とし掲げ続けるしかないのだ。
・反駁はより最悪の悲惨となったではないか?
2次大戦前夜に在った反戦平和思想?軍縮の志向は?
・日本の「平和憲法」の根拠(系譜)はこのあたりに求められる。
・しかしこの流れが頓挫し逆転していくプロセスは検証されていない。
