上島嘉郎著「反日メディアの正体」より、要約や印象に残ったところの紹介⑥

 


米国の占領政策が日本に浸透し、その後も維持されるように奉仕しているのが、戦後の新聞社やテレビなどのオールドメディアである。

 

例えば、戦後の朝日新聞は日本を二度と米国の脅威にならないように、国家として自立できない状態にし続けると同時に、共産主義に奉仕する機関でもあったということ。

 

 

 

メディアの彼らには愛すべき「日本」、守るべき「日本」がない。

 

GHQの巧妙な仕掛けが現代もなお続いている証拠として、唱歌「蛍の光」という歌がある。

 

数年前までは、どこの学校でも卒業式に歌ったものである。

 

だが、歌ったのは2番までであった。3番と4番があるのを最近まで知らなかった。



(ここからは、KSMさんのネット情報から書き記しています)


実はこの3番と4番こそ、日本にとって大切なものであった。

3番と4番は、どういう歌詞であったのか。

3番
筑紫のきわみ みちのおく
海山とおく へだつとも
その真心は へだてなく
ひとつに尽くせ 国のため

(3番の解説)
筑紫の果ても、陸奥の果ても、
祖国防衛のために赴く夫とは海や山も遠く隔てるが
真心は隔てることなく、
どうぞお国のために尽くして下さい
と妻が歌うもの。


4番
千島のおくも 沖縄も
八洲(やしま)のうちの 守りなり
至らんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

(4番の解説)
明治になってからの領土である千島も沖縄も
八洲(日本)の内の守りであり、
どうぞこれから向かうところで功を立て
ご無事で任務を全うして下さい
と妻が祈っている。


唱歌「蛍の光」は卒業生を送り出す歌ではなく、元々は我が国の領土防衛の歌であったのである。

 

明治14年、我が国の北と南の守りの国境が画定した後に、作られたのが唱歌「蛍の光」だった。

 

祖国防衛の任務のために国境に赴く夫を、妻が送る別れの歌なのである。

 

 


ところが戦後「国を守ることなど教える必要がない」「侵略して領土拡大した日本の歌詞などもってのほか」という理由で、「蛍の光」の3番と4番が消されてしまった。

 

しかし、この3番と4番を歌ってこそ、初めて「蛍の光」の歌の意味するところが理解できる。

 

それを理解させない、消してしまうことが戦後教育なのである。


国を愛し、国を護ることを避けてきたところに、我が国の問題があり、それが日本人の多くが領土問題への無関心につながって行った。

 

今になって竹島や尖閣諸島などの領土問題で、日本は立ち往生する羽目に陥っている。