ダニエル・クイン著
「イシュマエル~ヒトに、まだ希望はあるか」
より、印象に残ったところの紹介②
ゴリラは、動物園で檻に入れられた生活と自然の中で自由な生活との違いを話し始めた。
一番基本的な違いは、アフリカでの自分が家族の一員であった点だ。
ゴリラにとって家族とは手のようなもので、一人一人が手の指と言える。
ゴリラには明確な家族意識はあるが、個人としての意識はあまりない。
動物園には他のゴリラもいるけれど、家族はなかった。傷ついた五本の指は、一つの手にはならない。
動物園にいるゴリラたちは皆、人間の訪問者に気づいている。
我々ゴリラにとって、人間は興味の対象だったし、観察に値する。
その後、私は動物園から移動遊園地に売られた。
移動遊園地に移った私がワゴンに陳列されると、訪問者の小集団がワゴンに近寄って、しばらくして私に話しかけ始めた。
私は仰天してしまった。動物園では訪問者が私に話しかけることは絶対なかったからだ。
ワゴンを訪れる小集団がどれもこれも同じ振る舞いをするに及んで、私の当惑は度を増し、どう考えたらいいのか、まるでわからなかった。
本当の意味で私が論理展開を試みたのは、その夜が初めてだろう。
もっとも、そんなことをしているとは自分でも知らなかったのだが。
私を訪れた人間たちと動物園に来た人間たちと比べて、私に話しかける理由となるものが一つだけ見えた。
動物園ではゴリラがたくさんいたのに、ここでは一匹だけだった。
それでも、たくさんのゴリラと一匹のゴリラを前にしたときの、訪問者がどうして違う振る舞いをするのかは検討もつかなかった。
翌日、訪問者の会話に努めて注意を払った。
すると、内容はそれぞれ異なるのだが、どの会話からも繰り返し聞こえる音声があるのに気づいた。
そして、その音声は、どうやら私の注目を引こうとする意図の下に発せられるらしいとわかった。
もちろん、その音声の意味はわからない。
私の右隣のワゴンには、チンパンジー母子が入っていた。私に話しかけるように、訪問者が彼女にも話しかけるのはすでに観察してあった。
その日、新たな発見があった。彼女の注目を引くときと私の注目を引くときとは、発する音声が違うのだ。
彼女のワゴンの前に来ると、訪問者は「チャ・チャ!チャ・チャ!」と声をかけ、私のワゴンの前では「ゴリアス!ゴリアス!」。
小さなステップをこつこつと積み重ねながら、あの音声がいかなる理由でかはわからないものの、個体としての我々に添付されたものだと理解した。
誕生したときから名前を持ち、ペットの犬でさえ自分の名前を知っていると思い込んでいる君たちには、
名前を獲得することが、私の自己認識にどれだけ革命的な出来事だったかは想像もつかないだろう。
あの瞬間に私が誕生したと言っても過言ではない。
あの瞬間、私は一個の人格として誕生した。