中西輝政著「日本人として、これだけは知っておきたいこと」より、印象に残ったところの紹介③

 


1945年にGHQより出された「神道指令」というのは、神道に対する弾圧政策であった。

 


欧米においては宗教が国力の根幹を担っていたので、GHQは日本の根源の一つが神道だと見ていたからだ。

 



「神道指令」には3つの狙いがあった。それは神道と皇室の伝統、歴史教育の全面否定であった。

 


マスコミや一部の政治家などは今でも、これらを問題にして常軌を逸した批判や攻撃を繰り返している。

 



1946年元旦に昭和天皇から詔書が出された。

 

その中で「五箇条の御誓文」を改めて国民に示し、

日本には独自の民主主義の伝統があると言うことを思い出してもらい、

日本国民の生きる道を指し示すのが主眼であった。




そのときの昭和天皇のお気持ちとして、30年後の記者会見の席で次のように語られたのである。

 

 

「神格とかそういうことは二の問題でした。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、

 

ああいう立派な明治大帝のお考えがあったことを示すために、あれを発表するように私は希望したのです」と。

 



「神道指令」の中でも、特に戦後の日本人に重大な影響を与えたのが歴史教育の全面否定である。

 

 


そういう指令を出しておきながら、米国内では自国の歴史授業を特に重んじて、分厚い教科書で週6時間も教えていたのだ。

 

 


日本でも「神道指令」以前まで「歴史」は独立した教科としてしっかり教えていたが戦後、社会科という枠の中に歴史が押し込まれてしまったのである。

 



この社会科というのは、アメリカ流の民主主義や個人主義などの戦後イデオロギーを、日本の子どもたちに徹底して注入する手段として作られた教科であった。

 



GHQの政策に対する反対や批判、それに類する全ての行為は抹殺されてしまい、日本人の歴史を見る目が大きく歪んで行くのも必然であった。



当時、果敢に異議を唱えた良識ある人たちはことごとく公職追放され、場合によっては刑事罰の対象さえなりかねない状況で、誰もが沈黙を余儀なくされた。

 



一部に、戦前の歴史を全否定したいという人もいた。

 

大正時代からの共産主義や社会主義の思想に染まったジャーナリストやいわゆる左翼と呼ばれる政治家たちだ。

 


日本の歴史が始まって以来の敗戦に加え、有史以来はじめて外国に占領されてしまった現実を前にして、今までのことは全部間違っていたと思いたくなるのも仕方がなかった。