松村劭著の「スイスと日本~国を守るということ」

~「永世中立」を支える「民間防衛」の知恵に学ぶより


印象に残ったところの紹介⑦



スイスでは、住民集会を積み上げて来た課程を経て、法律を定める民主制が根付くことができた。


強大な隣国に囲まれていたことで、国民の国際政治に対する関心は強く、判断力の知的レベルも高いのが特徴。

 



彼らが大切にする

「住民集会におけるスイス民主制の基本理念」は

次の4つに集約される。

一、人間は完全無欠ではなく多くの欠陥を持っていて、政策に対する意見は百人百様だけある。

従って、村の意思決定は多数決の原理を厳格に守ることとした。



二、村民一人一人が皆の利益を考える。最も原点のところで私益と公益を自制的に分別すること。

村人は誰もが村長の立場で意思を表明し、もし自分の意見が採用され行政指揮を執るように住民集会で決まれば、その人はそれを引き受けなければならない。

意思表明と責任とが等価になっている。

 

 

表明された意思は村益を中心に置いた考えであって、各自はまず村の一員の立場で考えなければならない。



また、スイスでは家族会議でも家族それぞれが家長のつもりで意見を述べ合う。

 

個人のエゴは通らないので、その自由も家族会議の結論の枠内にある。

 



三、多数決の決定に全員が快く従う。村長の立場で全員が意見を述べたからである。



彼らは、「多数決」と「全員一致」とは全く違った概念としてとらえ、理解している。


「多数決」の背後には、この会議を同格で同能力の人たちの集まりとする強い意識がある。


そこで少数意見が存在するのは、むしろ当然の成り行きだと思っている。

 

 

異なる意見を述べた人たちには敬意をもって臨み、村八分のような排除思考は全くない。


しかし、意見者の人格を尊敬することと、意見の中身を尊重することとは別だと考えている。



他方、「全員一致」においては、異なった意見を持つ者は間違っているとする考えが潜んでいる。


だから村八分がまかり通る。

 


スイスの人たちは圧倒的多数を得るために事前工作する行為を、直接民主制の原理を破壊するものとして徹底的に否定してきた。


直接民主制の「多数決」は、屋上屋を架さず、一人一人が村長だという原則が根底にある。

 

 



四、政治は世俗の知恵で行うものである。

民主の剣をかざして表明する意見に、理想論や宗教論が介入する余地はない。


絶対的な正義などはこの世に存在するはずがなく、「平等」ですら原則にならない。


唯一の基本原則は「公正」のみである。

 


多数決の原理を支えるものは、「決定されればみんなが従う」と「村八分をしない」の二つであった。

 



日本では国会議員の仕事として、地方の利益代表という間違った考えが支配し、国会は地方エゴの集合体であって誰も国益を考えてこなかった。


だから、国際情勢の判断や世界の軍事情勢について淺い知識しか持たないのは当然かもしれない。

 


これでは外交手腕に長けた世界の指導者たちと対等に渡り合えるはずがない。



国益に反する地方や団体の利益誘導の「全員一致」や貧弱な外交政策において、毅然と処すべきところを「和の精神」を持ち出し、日本の国際的地位を貶めて来たと言える。

 

 

 

ある議員が曖昧な外交を正そうとすれば、村八分という処分を仕掛けて潰す。

 

曖昧さを日本らしさと勘違いしている。

 



ますは国益を考えた対外政策を確立してから、次に国内政策を整えるという、政策決定の手順を日本はもっとスイスから学ぶべきではないか。