『脳漿炸裂ガール』を観てきた。

A級ランクのB級映画だ。
舞台設定から仕掛けから物語の中核から全部無茶。
ていうか、ボカロ曲を映画化するのが無茶!
でも、面白いね。もっかい観たい、と思わせる。

作中で随所に「ヒエラルキー」と言う言葉が登場する。
ヒエラルキー。ピラミッド型の組織体。
その頂点に立つことは総ての支配を意味する。下の者になんでもさせられる。何からも干渉されない。
けれど、全ては自分で決めなくてはならない。当たり前だ。
その点最下層は楽だ。従っていればいい。気楽なものだ。

どちらになりたいかの選択は普通は、個人の能力の範囲において、自由だ(いつの間にかどちらか属している事も多いが)。
それを強制的に、今、選べと言われたらどうだろう。
頂点に立ち人を総べるか、家畜として人格無き者になるか。
勝てば頂に、負ければ地に。

作品内の世界観は急峻に過ぎるが、現実世界も、緩やかさがあるだけで、同じような構造で出来ている。
ヒエラルキーの頂点に立ったとして、そこでなにをするだろう。
極限まで研ぎ澄まされた自由。
目的も無く、力だけがあったために頂点に立った者が見る頂の景色は如何なるものか。
ひょっとしたら家畜になりたかった、と願うのかもしれない。

少女は頂点に立つ事も、家畜になることも拒否し、ヒエラルキー体そのものに銃口を向ける。
友達を助けるために。
「必ず、元に戻してあげる」
「…どうでもいいけど、マカロン食べたい」

フィクサーの一人を殺した少女の銃口は次にどこに向けられるのだろう。