この先生の言うことには結構共感するのですが、
今日の記事ですと、
”不安になって今後を脳内でひたすら模索する時間があったから(自分の求めるものがある程度言語化できてた)”
この部分です。この方もそうですが、「自分の脳内(気持ちや思考)を言語化できる」というのは素晴らしくて、言語化の前に、経験に基づく超絶思索が入っていると、文章を読んでいて非常に面白いですし、友人関係なら興味深い(好きな)人だと思います。
ただ、この記事でも「経営者には向いてなかった(意訳)」的なことを仰っていますが、
①自分の考えや思考を言語化できる、のと
②他人を動すような言葉を出せる、のは
似てるようで、全く別の能力だと思うのです。経営はまさに他人を動かすことが必須。
②は非常にグループ仕事に向いていて、会社で偉くなる人々はこの、「他人を動かす言動ができる」人が多い。「賢くて」「心が強くて」②だと出世コース(爆)。
一方、①は本人自体の考えは深くて興味深い(つまり賢く見えます)のだけど、他人を使って仕事をするのが上手いとは限らない。こっちはインプット(自分の脳みその成長が嬉しい)タイプな気がします。
確かに、人を動かすには言葉だけでなく、動かすための時間だとか段取りだとか行動とか、いろいろあるとは思うのですが、喋り方の癖として、①脳内を言語化するのがメイン、なのか、②目の前の現実を動かすために言語化するのがメイン、なのか、って印象です。
コレある程度は訓練でどちらにもなると思うけど、ほとんど生まれながらではないか、と思うくらい、②の人は②が全面に出てる気がします。
卑近な例で恐縮ですが、ウチの同居人AとBはゴハンのオカワリほしいときに、「美味しいなー!コレすっごい美味しい!!」から入るんですよ。私はもうわかってるのでウザくて仕方ないのですが、AとBは「オカワリくれ!超オカワリ!!」と脳内では思っていて、相手が快くそう動くように言語を繰り出しております。確実に②のタイプです。但し、賢いとは言い難いため、本人の姑息な動機が伝わってしまってるのですが。
一方①タイプの私は、おそらくその美味しさを材料・手間・作り方・盛り付けそういったところに作り手が払ったであろう様々に対しての自分の感動を言語化したいわけです。その結果(言われた相手がどう感じるか)まではあまり考えてないかも。褒めてるんだから別にいいだろ、くらいの雑さかもしれない。
で、成長までの間に、入試全般に焦点を置いた過ごし方をしていると、仮に同じ大学に入っている人同士でも、カリスマ性ある人、見た目よい人、しゃべり上手い人等、生きていく上で重大な諸々の特徴がそれぞれにあるのに、認識する機会を捨てて勉強してるよなー、と思います。だからこそ?以前はこの辺を意識する機会が多く早いであろう女子の方が、そういう意味で早く大人になる印象でしたが、最近は個人主義が強くなって、男女問わず、「私」「個人」という考えが強くなっているせいで、その辺を意識しないまま大人になっちゃう人は全般的に増えたかもしれない。
ちなみに、私は②が全然ダメです。仮に方法論だけ見つかっても、私が言うとありがたみが減ります。
なので、一人ではたらくのかなー。
あ、でも、不思議なことに、「勉強を教える」はまーまーできるかもしれない。
「勉強する気を起こさせる」は無理だけど。
勉強って結局インプットの方法論だから、割と①にもできるんでしょうね。