昭和の名大関貴ノ花こと二子山親方が亡くなった

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享年55歳の若さだ。今まで、元有名力士の他界は数多くあったが、彼のように大変好きな力士の死はなかった。心よりご冥福をお祈りいたします。
1970年代相撲は面白かった。横綱・北ノ湖、輪島、大関・貴ノ花、魁潔の頃だ。他にも金剛、黒姫山、高見山、青葉
城、大受、鷲羽山なんてのがいましたね。

特に横綱・北ノ湖は、今の朝青龍くらいの圧倒的強さを誇っていた。そんな中、
小兵ながらも健闘したのが、貴ノ花だった。今回の報道で流されている一番が、
貴ノ花が北ノ湖に勝って初優勝した相撲だ。確かにこの相撲は、貴ノ花が堂々と
寄り切った快心の相撲だった。私もTVで見ました、頑張れば時には勝てると思いました。

小兵力士が大きな相手に勝つための手段に立会いの変化が多かった、土俵際の粘りも大した者、最後まで諦めなかった。考えた相撲が多かった。又前に出て攻め勝つ相撲が多かった。ただ二子山親方の体重は増えず、軽量に泣いた。

二子山親方になってからの飛躍は大きかった。若・貴横綱や多数の有名力士を育てた、有名人にもなり、お金もたまり、二子山一門おの隆盛は、好いにつけ、悪いにつけ、平家清盛のごとく週刊誌を賑わした。だが一方憲子夫人との離婚、親子、兄弟喧嘩、、必ずしも平和な家庭では無かっただろう。

二子山親方は相撲と一緒、裸のままでぶつかり、多くを語ら無たった。


そして死んだ