露天の浴槽はモルタルが硬化するとアク抜きだ。何度も水を入れ替えるのだ。風力発電費による加熱とそれを更にボイラーで加熱する試験運転も行う。
風力発電の蓄電池を納めた倉庫部分も人夫氏の守備範囲だ。電力に余裕があればログハウスにも回せる仕組みにしてもらっているが、おおかたの予測はあまり期待できないという。
雑木林に遅い春がやってきて輝く芽吹きが一斉に始まったころ《温泉・ログハウス》の開業の準備は整った。突貫作業だった。
開業は五月一日からと決めた。ログハウス周辺が一年間で最高の季節となるころだ。その開業を前に二日間地区の人を無料招待する企画を持った。地区の全員に無料招待券を配るのだ。
その準備に追われている最中、病人の夫からびっくりする知らせとお願いの電話が入った。病人に自宅療養の許しが出たというのだ。五月からの半年間。
それでお願いというのは病人のたっての願いで、短期間でもいいからログハウスで療養をさせては頂けまいかという電話だった。夫はその間ログハウスから通勤するという。お許しが頂けるなら打ち合わせに伺いたいという。
私はびっくりしてしまった。あの重病人が早くも期限付きとはいえ自宅療養の許可が出るとは!お祝いの言葉も忘れて私は
『どうぞ、どうぞ、いつでもおいでください。』
と受話器に向かって大声を出していた。
すぐにその夜夫は駆けつけた。よほど嬉しかったのだろう、私の顔を見るなり手を握って泣き声になりながら、
『ここまでにして頂いたのは全てオーナーのお陰です!』
とお礼を言う。私はすっかり面食らった。
打ち合わせといっても寝室と居間を決めるくらいしかない。それはお任せしますと相手はいう。特別な希望はありませんという。五月一日即日に!という病人の希望に従って、露天風呂の開場の十時までに着くのがいいと伝えた。
私はすぐに講師に電話を入れた。病人の自宅療養を知らせ、ついては購入しておきたいものがあるので明日少々時間を戴きたいとお願いした。
最もお願いしたいことは喉まででかかったが、会ってじかにお願いすべきだと思い直して電話ではやめた。
この忙しいのに講師を引っ張り出して大型家具店まで遠出したのは、病人夫妻の寝室にダブルベッドを入れたいからだ。それを是非講師に品定めしてもらいたかった。私は
『当分は病人夫妻が使うものだが、その後もあの寝室に置くものです。どうぞ貴女御自身でもずっと使いたいと思うような最高なものを選んでください。』
と品定めをお願いした。
講師の選んだ最高級のベッドはすぐに寝室に収まった。そのベッドのシーツの調整をしている講師に私は重大なお願いを切り出した。病人がこのログハウスで療養する間だけ寝食を一緒にして世話してやって頂きたいと。
講師は一瞬私が言っていることが飲み込めない様子だった。私は、要するに病人のために貴女もここで寝起きして頂きたいのですともう一度言い直した。講師はわずかに頬を紅潮させながら
『Sちゃんのためですね。承知しました。』
と了解してくれた。
こうして病人を受け入れる体勢も整った。《温泉・ログハウス》の開業も控え忙しい日々だった。人夫氏はボイラーの点検や浴場の手入れなどに一人で汗を流し、二人の女性はパンやピザなどの材料の確保などに追われた。
四月の終わりの二日間の地元招待ディは心配した天候も大丈夫、朝の十時の開場と同時にあまり広くない露天風呂はたちまち満員の盛況となった。女性の中には混浴に悲鳴を上げて女性専用の小浴場に逃げ込むものが多かった。だからこちらは更に一杯で大騒ぎだった。
招待券はこの二日間で何度でも使えると知った人たちはもっと少ないときに出直そうと諦める人もチラホラ。
こうして日に二度も三度もやってくる人も居てコーヒーもクッキーもピザもよく売れた。コーヒールームは安くダベられるまたとない社交場となって盛況だった。
クッキー付き百五十円のコーヒーがドリップで入れるはしから出ていった。こういうこともあろうとこの二日間は特別にアルバイトを三人雇っていた。隣の地区から館長のツで来てもらっていた。
~続く~