こんばんは ダミアというシャンソン歌手がいます そして『暗い日曜日』という曲
たぶん「世界で一番暗い曲」詳細は下記解説を参照してください・・・
実は今年6/9のこのブログでご紹介したけど(末尾参照) ビデオクリップが削除
例によって歌人塚本邦夫さんの訳詩付きクリップがあったので シャンソンの歴史を理解するためにはどうしても避けることが出来ない曲であり歌唱なので・・・
ダミアの生涯、それらの多くは謎に包まれている。本稿は知られている限りの情報で作成する。
1889年、パリにて出生。十代の頃の彼女には放浪癖が元々あり、15歳のときに父の家を飛び出して以来波乱と激動に溢れた殆ど極限状態に近い生活を送る。当時の過酷な体験は後の彼女に深い影響を及ぼした。1911年より歌手として活動。孤独や絶望をテーマにした作品を数多く歌唱、発表するようになる。第一次世界大戦中には自ら戦線へ赴き、歌唱で兵士たちを慰問した。
“現実派シャンソン”と呼ばれる作品を積極的に採り上げ唄ったことで知られ、「シャンソンの悲劇女優」と呼ばれるようになる。
1936年に録音・発表された“Sombre Dimanche” (邦題:『暗い日曜日』)は世相を反映し、フランス国内では放送禁止に、日本国内では発禁になるなど物議を醸したことで特に知られている。
1953年5月には訪日公演を催行。東京、名古屋、京都、大阪、福岡、仙台にて公演した。これら公演は好評を博し日本でも根強い人気があることを裏付けるに加え新たなファンをも獲得した。この公演中に足袋を気に入り、フランス帰国後も生涯履き続けたというエピソードが残っている。
(ウィキペディア)
ダミア 「人の気も知らないで」
2011/04/02 にアップロード
1931年、ダミアが主演した映画『ソラ(Sola)』の主題歌。作曲はギイ・ゾカ(-Guy Zoka)、作詞はモーリス・オーブレ(Maurice Aubret)。日本では1938年、淡谷のり子のレコードで大ヒットした(東芝EM-I、シャンソン・ベスト・コレクション第一集『ダミア』の永田文夫氏の解説による)。
※訳詞は故・塚本邦雄氏(歌人)によるものです。
塚本邦雄 『増補改訂版 薔薇色のゴリラ』 より:
「「人の気も知らないで」はどういう訳か一、二節ともにクープレの初四行が省かれて人口に膾炙しているが、聴きどころはその省略部分だ。「貴方は愛する術を知らぬ(チュ・ヌ・セ・パ・ゼーメ)」を「人の気も知らないで」とは名訳の誤訳、日本語版は原歌ルフ-ランのだし殻である。第二節の四行など、脆(もろ)く懶(ものう)く哀しく、一曲を左-右するような箇所であり、ダミアのぶっつける「チュ・ヌ・セ・パ・ゼーメ」もこれあってこそ生きるのだ。だが私は繰り返して次のクープレを聴く。
Bientot fini le printemps
Avec lui, va-t'en donc, va t'en!
Et qu'un jour enfin, vois-tu, j'oublie
Ce reve n'etait qu'une folie
(もうすぐに春も終わりね
春と一緒に出てお行き
私もいつか忘れ果てよう
この夢は気違い沙汰だった)
「そしていつかの日やがて(エ・キャン・ジュール・アンファン)」その「アンファン」の切ない高音、それだけでもこの一曲を聴く価値があろうというものだ。」
ダミア 「暗い日曜日」
2011/04/02 にアップロード
※訳詞は故・塚本邦雄氏(歌人)によるものです。
塚本邦雄 『増補改訂版 薔薇色のゴリラ』 より:
「あまりにも有名、あまりにも個性的、あまりにも通俗的、そして私自身ダミアを聴き過ぎた。「暗い日曜日」はレコードを二、三枚買った覚えがある。一枚は耗(す)り切れた。一枚は割れた。現在残った一枚は、LPに入ったのを聴くので放ったらかし、黴が生えている。手入れをする気もしない。しかしずっしり重いこの78回転モノラル盤を掌上にする時、感慨は深い。極論すれば、昭和初年から十年代のシャンソンはこれ一曲に尽きるのかも知れない。かつまたダミア一代の歌にしたところで、とどの詰りこの一曲がすべてを語り、それがすなわち彼女の栄光でもあろう。ハンガリア産の放送禁止曲、自殺流行のためなどと、江戸末期の新内節も鼻白むような原曲由来はさておき、あるいは考慮に入れ-ても、曲そのものはロシア民謡まがいの恐ろしくぶっきらぼうなそして暗い調子と旋律、いくら何でもこれだけで人は殺せまい。(中略)ダミアの咽喉から後頭部を周って鼻に抜けるバスがかったアルトで、ぐいぐい抉るように歌われると、たちまちその辺にどす黒い空気が立ちこめ、黴と屍の臭いが漂い出す。(中略)最初の sombre dimanche から既にただごとではない。鼻にかかるので、「ソンブル」が「オンブル」に響く。s が抜けても暗黒(オンブル)、亡霊(オンブル)、招かぬ客(オンブル)、不吉なことに変わりはない。
Je suis entree dans notre chambre le c?ur las
(私はうらぶれた心で部屋に戻って来た)
この一行の歌い方が傑作だ。「ジュシュイザン・トゥレダンノ・トゥルシャンブル・ルクール・ラ」、迫真的、あたかも喘ぎ喘ぎ安アパートの階段をのろのろと上って行く趣は、聴く方の息が苦しくなる。
En ecoutant hurler la plainte des frimas
(木枯しの叫びを聞きながら)
第一節終行もまた同じ、さらぬだに鼻にかかる声はここで一段と強調され、「濃霧」(フ-リマ)の ma は耳に突き抜けながらぼうぼうと尾を引き、消えた一瞬止めの sombre dimanche が血の凝(こご)りさながらにどろりと置かれる。特に dimanche の di は、その血を躙(ふみにじ)るかに、ねじた発音だ。第二節瀕死の女の哀訴はこれでもかというように、執念深く追討ちをかける。最終行、一節の木枯しに相当するところは
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
(私の命よりさらに貴方を愛していたと告げよう)
であり、ロシアはアフォンスキー合唱団の、歔欷(きょき)とも呪詛ともつかぬ濛々(もうもう)たる遠いコーラスが絡み、終り三行がダミアの声で繰り返され、そして終わる。(中略)自虐的な呪文をたたみかけ投げつけ、危(あやう)く他虐に転ずる頃に曲が消え-るところ、また、そのためにダミアが身を揉み声を絞り、土壇場へ持ち込むあたり、ほとほと舌を巻くばかりだ。」
独り言 6/9
2015-06-09
③ダミアの『暗い日曜日』
先日昭和歌謡大全⑧~『アカシアの雨がやむとき』というのを特集して この歌はホントに暗い・・・幼心にもTVから流れるこの歌に心が滅入りました 北原ミレイの『懺悔の値打ちもない』藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』これも暗い でももっと暗い曲があります
暗い日曜日(くらいにちようび、Szomoru vasarnap, Gloomy Sunday, Sombre Dimanche)は、1933年にハンガリーで発表されたヤーヴォル・ラースロー作詞、シェレッシュ・レジェー作曲による歌である。初めてレコーディングされたのはハンガリー語で1935年。英語での最初のレコーディングは1936年である。ハンガリー語の原題のSzomoru vasarnap [?somoru? ?v?????rn?p](ソモルー・ヴァシャールナプ)の意味は「悲しい日曜日」。自殺者の出る曲として有名。
曲調、歌詞ともに陰鬱さを醸し出した本作は「自殺ソング」として、またヨーロッパやアメリカでは「自殺の聖歌」として知られており、歌詞の内容は暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、最後は自殺を決意するという一節で終わる。
現在でも多くのアーティストによって歌われ、特に1936年のフランスで発表されたフランス語によるダミアの録音でシャンソンとして世界的に知られるようになった。ゆえにシャンソンの作品であると誤解されることが多い。
淡谷のり子を筆頭に榎本健一、東海林太郎、越路吹雪、美輪明宏、戸川昌子、岸洋子、金子由香利、夏木マリなどシャンソンを専門分野とする歌手がカヴァーに挑んでいる。岩谷時子による訳詞で歌われることが多いが、1978年発表の浅川マキによる日本語詩、および歌唱が原作の持つ世界に忠実である。
(ウィキペディアより抜粋編集)
別に他意はありません ただこういう歌・音楽世界もあるということを知って欲しかった