マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。
「言葉の錬金術師」の異名をとり、上記の他に俳人、詩人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。
(ウィキペディア)
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
そら豆の空一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット
蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき
失いし言葉かえさん青空のつめたき小鳥撃ちおとすごと
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし