葉
太宰治
撰ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり
ヴェルレエヌ
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。
私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもって迎えた。
芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。
生れてはじめて算術の教科書を手にした。小型の、まっくろい表紙。ああ、なかの数字の羅列られつがどんなに美しく眼にしみたことか。少年は、しばらくそれをいじくっていたが、やがて、巻末のペエジにすべての解答が記されているのを発見した。少年は眉をひそめて呟つぶやいたのである。「無礼だなあ」
叔母の言う。
「お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい。お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。お前は嘘うそがうまいから、行いだけでもよくなさい」
われは山賊。うぬが誇をかすめとらむ。
妻の教育に、まる三年を費やした。教育、成ったころより、彼は死のうと思いはじめた。
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ
どうにか、なる。
こんばんは 太宰治なんて 今の若い人は知らないかな?
太宰治の処女創作集『晩年』の巻頭にある「葉」からの抜粋 ヴェルレエヌのエピグラフで始まる・・・
「葉」はそれまでに書き溜めた原稿の中から、捨てがたい断片や言葉だけを切り取って繋げたつぎはぎの雑文です
彼は自らの処女作に『晩年』というタイトルを いわく 遺書のつもりで・・・
たぶん初めて読むと 散文詩みたいで なんかわからない 小説じゃない でも実は太宰のエッセンス
キザというか 自殺未遂とか クスリとか デカダン(退廃)とか こーゆー斜に構えたものの言い方 それをスノッブ(紳士・教養人を気どる俗物)と忌み嫌う人や 逆にあとを追う文学青年たちがいて 時代の寵児でした
若いころ 背伸びして『人間失格』とか『ヴィヨンの妻』とかから読んで なんかぴんと来なくて・・・
大人になって 読書の幅ひろげて いろんな作家の作品読みながら 合間合間に 気づけば いつのまにか 新潮文庫の20冊近い作品読んで
実は『御伽草紙』とか有名な『走れメロス』とかあとこの『晩年』にも珠玉のような短編が
彼は実は多彩なストーリーテーラー(物語書き)生きてたらベストセラー作家になったろうなと思います
そして処女作の『晩年』の「葉」を読んで やっとわかった
若き太宰治の 小説に対する覇気とか夢とか
昨夜 村上春樹の青春3部作の巻頭で 処女作『風の歌を聴け』を読んでて ニヤッとしちゃいました 似てる似てる・・・