こちらの日記の続きです。


わたしの中の


1番古い記憶では


わたしは既に祖母の家に


祖母と叔母と兄と


一緒に暮らしていました。



1歳児から毎日


朝8時頃から17時半頃まで


保育園に預けられていたらしいです。


保育園の途中から記憶があって

毎日長かった思い出です。

家に帰るとヘトヘトで

夕飯食べながら寝て

味噌汁ぶちまけたことも‥笑



そして月に1回、父が赴任先から


帰って来て遊んでくれる


というのが日常でした。






わたしは小さい頃から


祖母に


「お父さんが離婚したから


お兄ちゃんとマルちゃん(わたし)は


おばあちゃんの家に住んでいて


お父さんは


お兄ちゃんとマルちゃんのために


東京で一生懸命働いているよ」


と、言い聞かせられていました。

※祖母の家は九州にあります。






小さなわたしは


その言葉を聞いても


まだ多感な年頃でも


無かったので


自分の置かれた状況を


普通に受け入れていましたね。キョロキョロ



悲しいとか


寂しいとかの感情は


全然なくて


祖母と叔母と兄がいたので


それなりに賑やかでした。





は、定期的に赴任先から


帰って来てくれて飛行機


いつも兄とわたしを


大きな公園へ


連れて行ってやしの木


遊んでくれるのですが


大型連休には


海・山・釣り・温泉・スキーなど


思いっきり遊んでくれましたサーフィンカキ氷






また毎日のことでは


朝食も夕飯も


祖母が準備してくれました。



祖母はオヤツの準備も


欠かしませんでしたプリン


「今はいらない」と


いくら言っても


必ず目の前に出してくれて


食べさせようとする祖母との攻防爆笑

りんごをよく剥いてくれました。



そして祖母は


忙しい新聞の仕事の合間に


よく遊んでくれましたニコニコ

折り紙、お手玉、お絵描き、あやとりなど


いい思い出ですおねがい





叔母


当時30歳くらいで


独身でした。

今も独身


役所でバリバリ働きながら


保育園の送り迎えを


毎日やってくれて。車

ときどき祖母。


また叔母は参観日や


親子レクリエーションなどの


イベントにも積極的に


参加してくれましたニコニコ

運動会は父も叔母も祖母も総出





とは


毎日遊んだり喧嘩したり。


普通の兄妹です。ニコニコ


保育園の頃から


わたしが小学校を


卒業する位までの間、


定期的に宅急便で


洋服、おもちゃ、雑貨、絵本、


「よいこ」「小学1年生」などの


当時の雑誌などなどが


沢山詰まった大きな紙袋が


父から?たびたび


届いていたので


兄とわたしは毎回毎回


テンション爆上がりで


一緒に遊んでいたことを


覚えていますおねがい








当時、あむあむたまご

楽しかった思い出です照れ






小学校では


兄もわたしも


いくつか習い事に


通わせてもらって

※書道・ピアノ・水泳


目まぐるしく


日々は過ぎていきました。


わたしたちの生活は


片親?でも不自由のなかった


子供時代だったと思います。


祖母の家から小学校まで

片道徒歩で30〜40分かかるので

毎日ヘトヘトだったことだけが

子供ながらに不自由だったかな。笑








まぁ、、でも?


生んでくれた母には


育てられては


いないのでね‥


もしかしたら?


一般的な


家庭のように


実の両親と一緒に住んで


両親の愛情に


包まれて育った人が感じる


「本当の親の愛」


みたいなものとは


何かしら違う部分?が


あったのか、、


分かりませんけどね。。。





それでも十分過ぎるほど


祖母も叔母もときどき父も


それぞれ必死に働きながら


兄とわたしを


精一杯愛情深く優しく厳しく


育ててくれたと思います。泣くうさぎ








そんな感じでした。




なので幼い頃の


わたしの中では


「お母さん」という存在は


そもそも居ないので



「無(む)」  


なのです。

今もこの感覚かもです。




意識して考えたり


寂しく感じたりする


心の隙間は


お陰様で(祖母と叔母がいたので)


全然無かったのですよね。。








多感な年頃に、なるまではキョロキョロ







つづきます