こちらの日記の続きです
祖母は
新聞の仕事をして
収入を得るように
なりました

少しだけ
生活がマシになり
小学校の給食費が
払えない‥
なんていう心配は
なくなったそう
進歩‼︎
切り詰めた生活から
ちょっぴり解放され
新聞の配達員さんたちに
少しチップをあげたり
集金に回る日は
自力(徒歩)では
キツいので
知人に依頼して
いくらかお駄賃をあげて
車で一緒に
集金エリアを回って
もらったり

父や叔母を連れて
定食屋さんに
行ったりして

ちょこちょこ
お金を遣っていたので
貯金はあまり
出来なかったようですが
この当時の
親子水入らずの外食は
祖母・父・叔母にとって
今も楽しくて幸せな
思い出のようです

※祖父は抜きです
一方で祖父は
自ら立ち上げた
土木関係の会社を
やっていました。
外に女がいて
あまり家に
帰って来なかったらしく
父や叔母は
祖父との良い思い出は
マジで無いそうです
月日は流れ
昭和40年代頃
住まいの主、曽祖父が
※祖父の父
突然亡くなったそう
曽祖父の財産は
皆で住んでいる
この家と土地だけ。
同居していた
曽祖父の後妻は
晩年になってからの
内縁関係だったようです。
2人の間に子供はいませんし
最期まで曽祖父と籍は
入っていませんでした。
曽祖父がいなくなった今
後妻は出ていくのかな?
と思いきや‥‥
なんと、曽祖父が
生きている間に
この土地の名義を
後妻の名義に
変更していたことが
判明します
贈与‥?
寝耳に水
家だけが曽祖父の名義に
なっていたとのこと
つづきます
