以前から、すっきりしないけども自分なりに理解したいことが一つありました。性別違和を抱えつつも、性別適合手術までは「したくない人」の気持ちって、どういう事なんだろう? 近いけれども微妙に違う者同士は、時に理解が余計に難しいよね。

 

それでも、わたし自身も「手術を望んではいるけれども現実には難しそうだから、手術なしでバランスを取りたい」と思っていた時間が長かったわけで、自分につながる部分でもあるのに、どうもすっきりと説明できないでいた。

 

 

そんな事に関して、ホモ・デウスを読んでて一性別違和の当事者として思ったことを書いてみる。

 

「意識の大海」の章中の話題。自分なりにざっくりまとめると…

 

過去・現在において、人は本当の自分に気付きたくない事もあって、そういう時に例えば性的指向に悩んでいる若いゲイなら、自分は異性愛者だと思い込もうとする。ところが21世紀には、テクノロジーとアルゴリズムの力を借りることで、同性に引かれる部分を抑制できるようになるかもしれない。

 

でも、それは本来の自分の心の領域よりも「心地よい部分だけの狭い領域での自分で満足」することにならないか。

 

そんな話でした。

 

 

性別適合手術も少なからず精神のありようを変えるものだし、手術を望まない人の気持ちを「違う性別で生まれた体の苦しさを抱えつつも、それを含めた全体としての自分らしさを大事にしたい人もいる」みたいな感じで、何となく言語化できた気がしました。

 

わたしの場合は「大事にしたい」じゃなくて、「それでも満足できる心持ちでバランス取れればなぁ」だったし、結局は手術して良かったし、なんだけどね(^^ゞ