しばらく、ツイッターのメインアカウントの方を放置します。アクセスしません。レース用のアカウントの方は使いますので、ツイッターで連絡が必要な方は

@arracng3

の方にお願いします。

 

メインアカウントでしか様子を確認できてない人もいてちょっと心配ではあるんだけど、相変わらずの自称“フェミニスト”の人のトランス差別発言が酷すぎて、わたし根は強いけどああ言うのをずっと見せられると気持ちがやられるんですよね。

 

で、結局は気になってる人が困ってそうな時にツイッター見れないことが続いてるし、あんまり意味がない気がしてきた。

 

 

個人的にはフェミニズムの考え方に全面的に賛同しない部分もあるけれど(例えば婚姻制度自体の否定する立場のフェミニズムとか)、でも今こそ日本でフェミニズムが必要とされている時だと思うんだよね。

 

官僚のセクハラ発言を「ハニートラップ」扱いする閣僚とか、医学部入試の酷い女性差別とか。ここで頑張らないで何のためのフェミニズムかって言う時だと思う。

 

 

そんな時にトランスフォビアなのかミサンドリーなのか、その両方なのかを公然とまき散らす“フェミニスト”の一群が居て、果ては「他の活動と一切連帯しない女体持ちだけのフェミニズム」が欲しいとか言い出す人までいる。

 

そんなの、もはやフェミニズムではないよね。だって、複合差別に苦しむ女性(例:女性だから、障害者だから差別されるだけじゃなくて「障害者の女性」だから差別されている人)の助けにはならないって宣言だよ、それ。

 

そんな状況を心あるフェミニストの人はどう思っているのか。一人一派だからわたしはわたしって思っているのか。それともフェミニスト同士で波風立てないことを優先しているのか。そんなレベルの低い話には係わらないという立場なのか。

 

 

だけど、あの一部の“フェミニスト”達の発言がもう「日本のフェミニストの発言」としてLGBT差別禁止法案に反対する活動家に利用されてるよ。

 

女性「差別禁止」とか夫婦別姓に反対してた(いる)のと同じ人たちが相手だから、本当はLGBT'sの活動とフェミニズムは連帯すべきだと思うけど、それはもういいや。

 

 

女性を含む、社会でのマイノリティーの主張が世の中に浸透するには、その主張に人権的な普遍性と正しさの感覚があることが必要なんだとわたしは思います。自戒を込めて思うのは、自らの差別意識に向き合わない活動家の存在は、活動全体の価値を下げて、言葉尻だけを都合よく利用されるんだと、まざまざと見せつけられた感じでした。

 

 

今回わたしが本当に嫌だと思ったのは、当事者としてトランスジェンダーが差別されている事よりも、フェミニストを自称する人が自身の差別意識に向き合おうとしない事、それを制止しようとするシス・フェミニストの言葉が力を持っていない事でした。

 

フェミニズムの主張する事の多くは、わたしにとって子供の頃からとても大事だと思っていた事です。そういう主張する立場自体が汚されていくような感覚に傷付くんです。

 

わたしの最後の連続ツイートにはどうせトランスフォビックなコメントが沢山ついてるんだろうけど、見る気ないよ。嫌味を込めて「フェミニストはトイレと風呂と性器の話が好き」って書いたのに、それでもトイレの話をしてる“フェミニスト”がきっといるからね。

 

トランスフォビックな“フェミニスト”にわたしの思いは届くはずがないから。