クリスマスイブとか当日は、お仕事でアレなので。早めにご挨拶です~。

 

パソコンの壁紙、ずっと標準のままだったけどクリスマスバージョンに変えてみた。で、今もクリスマス・ソング聞きながら書いてるよん。Punk Rock Christmasだけどね。

 

わたし、幼稚園がキリスト教系だったのね。別にわたしはクリスチャンではないけれど、幼稚園児なりにキリスト教のお話(とくに奇跡の話)は大好きだった。

 

そういう、単純な子供視線で感じたキリスト教のお話を書いて見たくなった。

 

 

幼稚園児のわたしが感じた、キリスト教の一番大事な教え。

 

教会でなんて教わろうとも、自分が信じることを曲げずに、信じる道を進むべきだっていう事だった。キリスト教、だから、やっぱり神様を疑ったりしちゃいけないんだけど。

 

でも、その教えで何と言っていようとも、正しいことは正しいって信じて行うことが、一番大事なんだって言うのが、子供のわたしが感じたことでした。常識や、正しいとされていることを盲信しても駄目だって言うのが、ユダヤ教から分かれたキリスト教の本質なんだと、子供っぽくだけど感じたのね。(ユダヤ教批判じゃ、ないからね)

 

安息日は安息にしていなければならないから人助けもしてはいけないって言う教えがあるのに、イエス様の失脚をもくろむ人々の目の前で、病人を治して見せました(みたいな話だった気がする)。

 

別のお話。善きソマリア人。行倒れの人を、司祭たちは助けなかったけれど、異教徒のソマリア人は助けました。そのようにしなさい、って言うお話。

 

単純に教義を知ってて、それを守っていることが大事なのではなくて、人として正しいと信じることを行うかどうかが大事。でも、それには自分の身の危険や不利益があるかもしれない。それでも正しいことを信じ続けて行うために、神様を信じるんだって、子供心に思った。

 

 

大きくなってからは、初期のキリスト教が迫害されたのも、その後で世界中に広がったのも、人が自分の信じるところを行うべきだという教えが理由だと思いました。わたしは「宗教哲学」ではない、「宗教」って社会制度だと思うのね。短期的じゃない、永続的な価値を与える社会のよりどころ。(わたしが感じた)キリスト教の場合は、「人として何が正しいかは、時や人によって違うかもしれないけれど、それに誠実に向き合いなさい、そしてそれを行いなさい」

 

時の権力者や、正統派の宗教者には危険な思想かもしれないけれど、普遍的な価値がある教えだから、だからこそ世界中に広がったのかなって。

 

教えがこうだから、じゃなくて、目の前の人にどう向き合うか。それを考えるためにはその人を知らなければいけない。そして自分の心に従って、正しいこと行いたいなって、少しでも多くの人が思うようなクリスマスになりますように。