そんな小粒なわたくし、金髪、まつげバッサバサ、ミニスカートのスーツに安室ちゃんみたいなブーツで出勤しました。🤣
世の中の事も
会社の中の事も
全くを持って何も知りませんでした。
そんな私の事を目くじらひとつ立てずに直属の社長達はいつも優しく根気よく笑 育ててくれました。
備品を購入するために書く書類、
稟議書も、りんぎしょって何〜?🙄
みたいな感じで、
接待の料亭でも薬味←やくみを、
なに、このくすりあじって?🤔とか😂
当時は言っていました笑
今思えば会社にとってお荷物でしかなかったはず💧
そんな私に大役が回ってくるのです。
それは全国にスキャルプヘアを広める事。
当時は今ほどスパ銭♨️ブームではなかったので
大きな健康ランドはおじさん達の憩い場サウナ的な感じでした。
オシャンなお店もなかったし、酔っ払いとのトラブルも結構多かった。。
当時いた会社は、温浴リラクゼーション業ではトップの客先(お風呂屋さん)持つ会社でした。
のちにライバル社がどんどん大きくなってあっという間に抜かされますが

当時の温浴施設♨️には
マッサージ(国家免許持ち)
足つぼ
あかすり
のちにエステやらタイ古式やら床屋さんやら入ってきましたけど
の三銃士。位しか娯楽のカテゴリーはありませんでした。
そもそも私が入社した当時はあんま指圧法に則った国家免許保持者しか働けなかったのでリラクゼーションという概念ではなく、マッサージだったので、人員確保が本当に大変でした。
なので他社がじゃんじゃんこの業界に参入してくる前にリラクゼーションのカテゴリーに入るメニューを(新商品)を作り、目新しいメニュー展開で客先を守れと。
いつも会長に海外の新しいものを早く世に広めろ〜広めろ〜と年に6回も海外に連れて行ってもらいました。
これはロサンゼルスへエステ研修〜
みんな海外旅行感ww 何私の服装ww
それは日本にはまだないリラクゼーションのメニューを外国から探してきてその施術工程をつくり、
メニュー化して全国の健康ランドに売込み契約を獲得するという大役でした
ヒィ

当時の女性上司の作ったスキャルプケアの施術工程自体はあったので、全国各地に私が出張で行って各地の健康ランドのオーナー、支配人に施術を行い契約に結びつける大役です。
あれ?技術指導じゃなかったの?

月に10日位は全国各地に出張しながら新しい商品を広め、契約を取り、契約を取った後は地方の営業担当と協力して技術の指導にいきました。
地方の美味しいものも沢山食べたなぁ

出張がない時は、東京、神奈川 千葉 埼玉 静岡 山梨の自分の担当店舗♨️のスタッフの保全管理をしながら毎日を過ごしました。
また当たり前のように、もちろん成績もあり毎月売上に追われました。
定時なんてなく、今となっては良くやってたなぁ🤣と思うばかり。
しかも年齢給だったので給料は1番低かったけど、その時に鍛えられたから今があると思っています。
続く