最近は、気になる話題が尽きませんね、 |  職業:作曲家のつぶやき

 職業:作曲家のつぶやき

  作曲家 Takayuki Mitsuhashi の音楽活動を中心に紹介していきます。

今年は、年明けより、いくつかのプロジェクトが平行して動いていることで、なかなかのんびりできませんが、なんとか一つ一つ、眠気と戦いながら、乗り切っている毎日です。

さて、そんな中ではあるものの、さきほど晩ご飯食べながらテレビ見てましたら、またどこぞで母親が子供を殺す事件が報道されていました。
少し前は、日本人の人質事件。おとといくらいには、ビルで立てこもり、昨日あたりで、小学生が殺害されたり、もうちょっと前は、いつしかの秋葉原で怒った無差別殺人の罪で服役中の方の、確か、死刑が確定したとか、、。

どれがどうのこうのと、内容を詳しく知らないまま言及するつもりも無いのですが、僕自身、全体になんとなく共通するものを感じています。

あくまでテレビニュースからの情報を読み取ったものですが、例えば、今、中東で話題になっている組織の件ですが、そこへ兵士として志願する方のほとんどが、各国の、社会のいわゆる貧富の差や、色々な理由で適応できない、そういった、現存の社会にある意味不満のある人が、居場所を求めて集まっているらしいという話。

小学生の殺害も、秋葉原の事件も、いつだったろう、恋愛のもつれで人を殺害してしまう人もいますね。これら全て、結局のところ、社会の競争原理、比較の原理の場において、ある意味、負けた人、適応できなかった人が、腹いせのように、相手や、時に他人を巻き添えにし、自己をアピールしているように見える。

人は、自分のことが大好きで、大切だから、多分、だいたいの人が、バカにされたり、裏切られたり、勝負に負けたりしたら、悔しかったり、情けなかったり、自分のプライドずたずただったりして、そりゃ、大変だ。唯一自由なのは、自分の心の中で、一生懸命、ものごとを正当化したり、おもいっきり他人をさげすんでみたりして、なんとか、自分のバランスを保ったりするものだけれど、それもコントロールを失った時には、他人に危害を加えたり、自分に危害を加えたりして、何かを主張するのかな。。と、思う。

正直なところ、それら全てが悪だと言いきれないところもある。なぜなら、僕自身も、普段の生活の中で、気持ちの良い人間に出会えることなんで、稀であるし、基本的に人間の思想は、一般的にくだらない。と思うことがほとんどだからだ。比較や嫉妬をすることが大好きで、多数に属することで安心感を得たり、物の価値をお金で計ったり、人や自分の価値さえも、お金や職種で計ったりしている人もたくさんいるような勢いすら感じる。表面的な言葉や、装いといった、分かりやすい部分だけでしか物を判断ができずに、人の人間性を見ることをあまりしないような人も、たくさん出会います。

そんな世の中で、要は、器用に生きていける人だけがなんだか楽しそうに生活してて、器用さにかけたり、勉強ができなかったり、スポーツが出来なかったり、貧乏なお家で生まれた人は、だんだんと居場所を失って、その中の何人かが、こういった事件を引き起こすのでしょうか?

僕は、それは可能性の問題として、無関係とは思わないけれと、それはやっぱり、単なる言い訳のようにも思えるし、正直、同情はできない。

例えば僕自身、職業が音楽家で、普段は先生と呼ばれて、会社も経営してたり、昨年は作曲家として、名誉ある賞もいただいたり、自慢するわけでは無いですが、周りの方からは、冗談まじりでしょうが、お金をたくさん持っているだとか、自由に生きているだとか、好きな仕事をやっているだとか、時に羨ましそうに言われたりもします。しかしながら、それら全て、無償で与えられたものではありません。両親も音楽家でも、経営者でもありませんから、始めから用意された道なんて、一つも無かった。それこそ、家族はもちろんのこと、一部の友人にしか見せていないであろう、悔し涙や、不安、自分に実績など何も無かった時の、惨めな思いをバネに、それでも世の中には素敵なものもあるんだって、自分の価値、人間の価値、音楽の価値を信じてきたから、今それなりに前向きにやれているのだと思っています。

そういった意味では、世の中が決して平等ではなく、時に努力では容易にカバーできない、資本であるとか、そういったバックグラウンド、いわゆる「不平等な世の中の仕組み」を、僕はもう中学生の段階で、目の当たりにしていました。それを知った時は、そりゃぁショックだったり、悔しかったし、いわゆる挫折感で、プライドもずたずたでしたよ。だって、それまでは、勉強が出来れば評価される、足が早ければ評価されるって世界でとっても単純だったわけですから。

それでも、そこから、少しずつ這い上がって、ある段階で、その不平等や、社会の仕組みを受け入れるキャパを自分に備えて、その中でも尚、戦っていきたいと思いましたし、お金や、お家や、キャリアや、コネだ、そんな低次元なもので自分の思想や目標を左右されてたまるかって思いましたよ。それに、そんなくだらない社会に、「美しい音楽」で張り合うなんて、なんか素敵だし、だから価値がある。音楽が芸術という枠にカテゴライズされている理由もそこにあると僕はそう思っています。

少なくとも僕は、ただ楽しいから音楽家をしている訳ではない。でも、この仕事を選んで本当に良かったとは思っている。なぜか? それは、それまでの経緯があるからだ。もしこの世の中が、そういった社会でなかったら、そこらじゅうが幸せだらけだったら、きっと、表現の世界に興味を持てなかっただろう。だって、声を大にして、人生をかけてまで、そんな世の中にアピールしたいことなんて、生まれなかったハズですからね。別に、一般的な勉強も不得意では無かったですしね。

何が言いたいかと言えば、結局、どんな状況下でも、本人の人間性、思想次第で、良くも転べば、悪くも転ぶ。世の中は、不平等であるし、生まれつきの貧富の差、脳みその優劣はあるでしょう。でも、そういったネガティブな要素に自分の心を制圧されてしまうのか、それでも尚、何かを信じて、未来を作る方へ、転換していくのか。だいたいの人間が、そのどちらも選べるチャンスがあるはすで、それを見過ごして、もしくは、気付かないふりをして、戦いに出ることもせず、また負けを認める勇気を持つこともせず、世の中に文句をただ垂れ流すような人生は、それこそくだらないと、僕は思う。

こういった悲しい出来事を、もちろんすぐには解決できないけれど、皆がもう少し、他者を認め、自分の弱さを認め、でも、自分の価値も認めてあげることで、他者と比較せず、もう少しだけゆったりした心で人間関係を構築できたら、、と、思うのですが、皆さんはどう思われますか?

そういった意味では、加害者の方も、被害者の方も、犠牲者ではあるのかもしれませんが、当然、当事者は、そんな寛容な心でものは見れないでしょうし、ともあれ、出口の無い、心の痛む話だと思いました。

今日は、ニュースを見て、そんなことを思っていました。

さて、明日は、今年よりプロデュースを手がけているアーティストさんの、大事なリハーサル、明後日は、本番です。まだまだプロジェクト始動したばかりですが、少しずつ、自分の音楽を具現化していけたらと思っています。

おやすみなさい♪