さて、解散総選挙が行われる。
高市内閣が発足して間もないこのタイミングでの解散については、驚きや疑問の声も少なくない。
一方で、専門家の中には、自民党全体の支持率と比べて、高市総理個人の支持が高いうちに解散に踏み切る判断は、政治的には合理的な選択だと見る向きもあるようだ。
では、この解散は、私たちにとってどのような意味を持つのだろうか?
個人的には、現在の少数与党という国会の構図そのものに、大きな問題を感じていない。むしろ、単独で法案を通せない状況だからこそ、与党は他党との対話や調整を必要とし、複数の意見が政治の場に反映されやすくなる。その状態は、民主主義の本来の姿に近いのではないかとも思う。
多様な価値観を持つ政党が存在する中で、一つの党、しかも比較的年齢層の高い人々の価値観だけで国の方向性が決まっていくことのほうが、むしろ不健全ではないだろうか。国会は本来、議論の場である。しかし長い間、その場は対立を演出するための空間になっていたようにも見える。与党に反対すること自体が目的化し、政策の是非よりも、立場の違いを強調するやり取りが繰り返されてきた。その結果として、私たちの生活に直結する多くの課題
●経済の停滞
●少子化
●将来不安を抱えた年金制度
●円安
●政治の世襲構造
●政治資金の問題
これらが、十分に解決されてきたとは言い難い。こうした状況を見て、政治が着実に問題解決へ向かっていると実感できている人は、どれほどいるだろうか。
最近になって、いくつかの少数政党が、是々非々の姿勢で政策ごとに判断する動きを見せ始めている。すべてに反対するのではなく、賛成できるものは賛成し、調整が必要なものは話し合う。そのような、ごく当たり前の議論の形が、ようやく芽生えつつあったようにも感じていた。
だからこそ、再び単独過半数を目指すという動きには、少し立ち止まって考えたくなる。
高度経済成長を経験し、比較的安定した老後を迎えている世代。将来への期待を抱いて社会に出たものの、すでに下り坂に入った現実を目の当たりにした世代。そして、先行きの見えない社会の中で、負担だけを感じながら生きている若い世代。これらの世代が、同じ価値観を共有できるはずがない。むしろ、それぞれの実体験や環境、人生の目標が違う生き方をしてきて、価値観が同じだったら怖い。
こうした背景から、一つの党の中だけで、クローズドな結論を出して運営される政治よりも、オープンな対話と調整を前提とした政治のほうが、社会として成熟していると感じる。特定の政治家や政党を批判したいわけではない。善悪や正誤を裁きたいのでもない。
ただ、構造として、議論し、話し合い、折り合いをつけることが当たり前になる社会のほうが、より健全なのではないか?
そう考えるのは、私だけだろうか。