昨年から金曜日が休みになりまして。

そのときのつもりとしては、金曜日には心静かに休養して、その後の土日に控えているイベントの備えよう、くらいのつもりでした。ところが実際には平日である金曜の休みはものめずらしく、さらに少しは街中がすいているのであろう、という期待もあって、結局ウロついてしまっています。

それでまあ、御徒町だの池袋だの新宿だの渋谷だの横浜だのへ行くわけなのですが、それらの「盛り場」(死語?)で感じるのが、今日って本当に平日だよねえ、ということです。私の見る限りはいつもごった返しています。

 



池袋・新宿・渋谷はまあ、若者の街というのでしょう。それらについても、年配の人たちがけっこう、一本裏の通りあたりで楽しんでいる感じはしますが、やはり若い人が多いです。そして御徒町に行くと、歩いているのは老人と外国人です。

始末に悪い、と思うのがこの老人たちで、何か目的があってきているのではなく、ただなんとなくそこにきていれば、楽しいこと、おもしろいことがあるのではないか、ということできているようなのです。それがまったくの誤りであるとは言いませんが、率直に言って「盛り場」(死語?)で楽しむには、お金が必要ですね。

何も使うお金の額に正比例して楽しい、とは言いませんが、お金なしでこういうところが楽しいとも思いません。でも、渋谷の若者も御徒町の老人も、うつろな眼をして、うろうろ、ふらふらとしているばかりです。

老人のほうが困るな、と感じるのは、たとえば私が御徒町のロンドンスポーツで商品の発掘作業にいそしんでいると、あそこになにかよいものがあるのか、というので寄ってくる老人が多く、そういう人たちは杖を武器として使う、ということです。私のすぐ前や足元に杖を突き出されるくらいでは、もはや驚きもしません。

でも、あの人たちには「服なんて着られればいいんだ」というメンタルの人が多く、特にジジイはポリエステルのワイシャツにウールのズボンで、なぜか野球帽、というような謎のカッコウの人が多いので、私があさっている原色や蛍光色のスポーツウェアには興味がわかずに、なんだつまらん、というので離れて行きます。

渋谷の無気力で気持ちの悪い若者が、年を取るとこのようなどうしようもない老人になるのか、双方異なる由来を持つのかというのは私にはわかりませんが、することがないからとりあえず盛り場(死語?)というのは、やめておいたほうがイイんじゃないの、ということです。

そんなところに行っても、目的があって足早に行きかう人や、自分たちには価値のわからない、あるいは手の出ないものを買っている人のことを見なければならないだけですよ。

おそらく若者も老人もすることがないのでしょうけどねえ。だったら若者は老人ホームの話し相手のボランティアでもやるとか、老人は幼稚園の送迎のボランティアでもやるとか、そちらのほうがずいぶんましだと思います。

この先、働いたら負けと考える若者と、行き場所のない老人って、ますます増えるのだろうなあ。カンベンしてほしいなあ。

※本日午後から出かけますので、しばらく短信のみとなります。