TOBEときくと、
続く文言は
or not to be
この言葉を思い出してしまいます。
この翻訳が日本語で有名なのが前時代のシェイクスピアのハムレットですが、
昨シーズンのメトロポリタンオペラのハムレットを観たとき、違う、あれは違った!と確信してしまいました(以前もここで書いていますが)~そのライブビューイングのハムレットがぴったりと心情に合ったんです、この言葉はネガティブマインドで発せられたセリフじゃないんです。
このオペラ、素晴らしかったです。
呟きながら悩む青年の姿から日本のかつての演劇界では何十年も主人公に"死ぬべきか生きるべきか"と八方塞がりのセリフを吐かせてましたが、
そうあるべきではないんじゃないか、こうあるべきなんじゃないか、と父王が暗殺された理不尽と母親を奪われたまやかしをどうしたらいいんだと悩み抱える青年ハムレットならば違和感が全くなかったのです。それが本当に描かれていたシェイクスピア劇の本質であり、この言葉はポジティブマインドから発せられる呟きなんだと。
to be or not to be
そう、
かつての前世紀の日本語翻訳が間違っていると気付いて、ポジティブに変えていこうとした若者が殺人者であり略奪者である叔父にはめられる悲劇なんだと確信したんです。
その言葉のひとつを滝沢社長がどういう思いで着けた名称なんだろうか、と思い馳せています。
これも印象なんですが、滝沢さんならクラーク博士の
Boys be ambitious!(少年よ、大志を抱け)
なんて、言いそうじゃないですか?ビーアンビシャスで。
長瀬智也にビーアンビシャス🎤って☺️
それを優等生的な文言ではなく、
可能性としての
ポジティブなこれからを感じさせる
to be
にしたところが好いですよね。
そして半信半疑のまま、
7月に入ってからは俄然、本当らしい
本当だ、
と、七夕にサプライズを魅せてくれたのには驚きました。
常々、エンターテイメントを理解しいているプロデューサーがいないと嘆いてばかりだったのに、ひょんなところに、
というか当然なのかもしれません。エンターテイメントが何なのか、舞台で実践しながら多角的に修得されていたのが滝沢さんなんだろうと。
理不尽な圧力や日本の芸能界の闇に揉まれながら、潰されそうになりながら、to be と、進んでいこうと立ち上げた滝沢さんにびっくりですし、それにきっと、心から賛同したと思われる平野さん、神宮寺さん、
妨害や目に見えない圧力等これからも考えられますが
忖度を生き甲斐にしているスタッフは要らないから、でもうまくやっていくためには必要なのかな?
純粋に、より良いエンターテイメントを目指しているスタッフさん、観る目のある、レベルの高いスタッフさんを集めてやっていってほしいな、と願います。
(もともとテレビ持っていないし媒体はどうでも良いと思えましたし)
このかた、かなり頭の回転の早いクレバーな面(世間の頭のイイ基準とは違う、本当の頭の良さ)を感じました。
何処の日本の芸能事務所もそこの2世はエンターテイメントへの情熱をもともと持っていなかったり、エンターテイメントの本質がわかっていないから慣習に頼ったり、自己都合で譲り受けた会社を我がものと私物化してしまうのかもしれません。素人より酷いなっ、て感じることが多いんです。
しかし、プロデュースする力とか何をやるか、やりたいかが、きっと見えている人なんだと滝沢さんに期待を込めて。
その原動力となる素材のしょうくん、神くん、そして岸優太に期待を込めて。
(まだ岸くんの今後は未知ですが、秋以降に岸くんの合流が現実になりますように🙏)