日々の憂鬱と癒し | 海をみていたい

海をみていたい

日常。思ったこと、メモがわりだったり、テンションあがって発信したかったり、観劇、観戦、鑑賞日記です。
濱田めぐみさん、町田樹さん、パナソニックワイルドナイツ好き、現在連日HIDEKIさんを思い出しています。
趣味は携帯写真。

とてもクダラナイことなんですが


今朝、ジンくんが夢に出てきたんです。もちろん、そんなことははじめてで。しかも自分でもなぜ?

夢の中のジンくんは気になっていることに寄り添ってくれて、すごく気遣いしてくれて優しくて。なんだかホンワカ目覚めてました。

おバカな独り言ですみません。


不思議。

いつからか、

たしか昨年の夏の終わり頃だと思うのですが、紫耀くんを観たい感じがいきなり来たんです。それが加速しはじめて。

3人が脱退したあとはしょうくんとか岸くんの動画ばかり観ていた気がするのだけれど、そこにいつもジンくんのやさしい眼差しが映っていて。

きっとそれを素敵だなぁと思っていた潜在意識?が自分にも神くんの必要性をもたらして、出てきてくれたのかな。

都合良く、解釈します💦

あ、夢の中では神くんの隣にしょうくんがモソモソ、きょとんと黙ってくっついていました。

ジンくん、ありがとう。



アホみたいだけれど、
日本青年館行ったついでとか秩父宮ラグビー場へ行く前にHONDAウエルカムプラザへ立ち寄ったりもしてました。


普段の通勤の前後には新宿の展示スペース(1月頃だったか地下通路)や大型サイネージ動画(先々月の改札前)やCDショップに立ち寄ったりもしてました。
(これらの写真は当時の新宿のタワーレコード店内↑ ↓)

滅びの美学???

そんな高尚なものではなくて、
たまたま気になるものとか関わったものが他よりも早く終焉してしまう、というか、きっといちばん良いところで最高の状態で終わることが多いんだと思います。いつも気になる瞬間がそういう終わりかけのタイミングなんです。
町田樹さんに魅了されたのもソチの直前シーズンから。とにかくエデンの東の町田樹は何よりも美しく、しかも時は止まってくれない、その儚さを凄く感じました。この時を見逃してはならない、と強く。それに導かれるように激戦チケット参戦していた感じです。
だから彼が引退してしまう予感は見続けている間ずっとあって、それで必死になってあの長野・全日本フィギュアを目撃してたんです。心では認めたくなくても彼が引退してしまうことはわかっていた(信じたくないからその予感を圧し殺していた)感覚です。

今回も
同じように彼なかのいちばん美しい、多分ピークにいるしょうくんを今、目撃しなくていつ見る?みたいな衝動に駆られていく感じでした。もちろん媒体は動画とかTVerですが。すると間もなく退所の発表があって。やっぱり、と、自分の儚さへの変な感覚がずっと続いてました。

ただ、きっとそれぞれの新しい現在は此方の思うピークとか気持ちとは関係なく、
それぞれの理想だったりやりたい人生なんだろうと思います。むしろ前向きに感じます。
町田先生にも選手時代辛いことばかりみたいな発言もありましたものね。他人から観て最高の美しい時であっても当人にとっては当時は思い通りではなく、辛く苦しかったことのほうが大きかったのかもしれません。だからこそ、今、現在に理想のご自身が居るんですよね。
紫耀さんも同じような感覚なのだろうかと。これからが自分らしくいられる未来なんだろうと。

さてさて、

渋谷へは何かのついでではなく、先々月辺りはわざわざ出掛けてタワーレコード(渋谷店)のエスカレーターに乗ってみたり、HMV(渋谷)へ行ったりしてました。今回も職場の調整休(今月必ず取らなければならない変な規定がある)を使っていくことにしました。(私の場合、10時頃に行って12時半の整理券でした。)

渋谷って、
子供の頃の印象は今と違って、おとなの世界を垣間見る感じでしたから、おしゃれでクールなイメージでした。
通学路として通っていた15歳、16歳、17歳の頃は特に尖った鮮烈な印象で、最先端のデザインのコンクールのようなまち。カッコよかったんです。
今は子供っぽくてただ雑然としていますし、ゴミ臭いまち。古い百貨店が失くなって『よそいき』の少しだけおしゃれをして出掛ける感覚を失って、ひたすらごみごみ。

それでも所々、自分なりのオアシスを見つけます。知られるのが嫌だから書きませんが😊

それに時間があれば混雑した渋谷駅の乗り降りを避けて、神宮の木々のなか森を抜ける感覚で新宿まで歩くこともあります。

旧渋谷公会堂の奥からは元母校まで歩ける距離なのでワサワサから抜け出す散歩道を見つける楽しみもあって。
当時は私鉄に乗り換えて通っていましたが、こんなに近いんだと今さら知ったり。
静かに過ごせる空間を大事にしたい今日この頃です。