戦後の日本の復興期の日本が時代背景にある小津安二郎の『東京暮色』はまさかの悲惨な結末でびっくりしました。
小津映画に期待される家族のほのぼの感とか小さな幸せ感が一切なく、そんな甘さをバッサリ切り捨てられてしまったようでした。が、逆にホームドラマのようなしあわせ感には嘘くささもあって、容易にしあわせなんか来ないんだよ、それが現実なんだよ、と、癖になりそうな味がしました。
姉:原節子 本当の母:山田五十鈴
やさしいお父さん:笠 智衆
終始、気の毒な次女:有馬稲子
叔母に杉村春子、お父さんの友人に山村聰、一杯飲み屋のおじさんが藤原釜足
原節子がちっともしあわせじゃなくて、それでも妹よりはマシと思うのか?無表情のまま折り合いの悪い夫の元へ戻るとお父さん(笠智衆)に告げる。
室蘭へ渡る山田五十鈴(お母さん)は最後に娘が見送りに来る!と期待して汽車の窓を何度もあけるけれど当たり前のように見送りになんて来ない。
ヒロインであるはずの有馬稲子は一度も笑わない。
すべてに見放されてしまって、その上頑固で、観客から見れば頼ればいいのに、それが最良なのに、けれどもひとり深みにはまってゆく様は救いがないんです。
その合間に芸達者たちが小さな役で、ほんの少しのセリフで存在感を示してゆくなんとも印象深い映画でした。
何か解説はないか調べてみると、ウィキペディアにはこの作品は「エデンの東」の小津的翻案とあり、しかし、本当にそう?
たしかに、出て行った母の存在、悪びれない山田五十鈴。
ジェームスディーンにあたる次女明子(有馬稲子)はいつでも不機嫌。
心の中に謎を残して、とにかく、あとひきます。
映画館から外に出ると見慣れた雑踏、もの凄く暑い日で、なんだかほっとする眺めでした。