辺境の窓際族博士1年生 tyatyaotya(ちゃちゃおちゃ)と申しますニコ

 

ピグのアカウント自体はだいぶ昔に持っていたんだけど、

当時はまだ幼子だったからピグライフとか釣りとかピグカフェとかやるために使ってて

ブログとかはあまり興味なかった。

 

そんなばぶもすでに成人。

現在は立派に、

 

小規模低知名度大学の大学院で博士課程の院生として細々と生きています…。

 

 

なんでこうなった!笑い泣き

 

まずは、人生詰んでるとかひどい言われようの文系の院進学を許してくれた親に感謝愛

なんで進学することにしたのかについての経緯は、後々機会があったら書くことにする。

 

 

今回は、今日なぜブログを始めようと思ったのかについて、自分の気持ちの整理のためにも書いてみようと思う。

 

合格まずは「ブログ」を始める理由。

ブログ書いてる博士の人とかPDの人は他にもいるけど、みんなかっこいい「研究者乙女のトキメキ」って感じで頼りになる先輩である反面、仲間というか「一緒に悩める同期」みたいな面は見えにくい気がする。

もちろん先輩方の足跡は頼もしいし、もっと一言投稿するSNSとかだとリアルな考えが見やすいと思う。

でもなんか、もうちょっとゆるい思考垂れ流しみたいなのも知りたい気分。

 

修士のときに、同じ大学内の他研究科の子たちと多専攻合同で研究会をやってたんだけど、研究会自体はもちろんその後の打ち上げ飲み会が楽しかった。他専攻だから専門用語自体が初見で一生懸命詳細聞いたり、他専攻他ゼミのエピソードトークで盛り上がったり、院生としての将来の不安を共有したり。

同じ専攻同士で喋るのも大事だけど、他専門領域の人の意見は自専攻からはもらえないような方向性から研究を見てもらえてとても参考になった。

コアメンバー(同期)が修了しちゃって今活動が止まっちゃってるのが残念。また再開できたらこっちでまた書くね。

 

発信形態をブログにしたのは、こんな理由。

あとは私がエッセイ読むの好きっていうのもあるし、ちまちま書いて出すSNSよりだらだら書けるほうが自分に向いてるってのもある。自分の思考の整理にもなるし、あとで見返した時に「あの時こんなこと思ってたんだー」って思えるのもいいね。

 

 

合格つぎに、今までブログもSNSもやってこなかった人が自分の考えを発信し始めるのか。

なぜなら

 

 

今日にいたるまで、私に博士課程院生の自覚がなかったから‼

 

 

愚かですねうーん

だからお前はいつまでも窓際族なのだ‼

 

正確には、自分が博士課程の院生ってことはわかっていたけど、それが何を意味するのか全然自覚がなかったってこと。

私は学士→修士→博士と全部同じ大学に進学しました。

なぜなら、己が頭悪いことが分かっていたからです。

 

大学院進学するっていうと、

「え、すごい!頭いいんだね!にっこり

みたいに言ってもらえることがあり大変恐縮なんですが、大学院進学に必要なものって学力じゃないんですよね。

たぶん「研究遂行能力」なるものなんだと思う。

「先行研究を前提にやりたいことをちゃんと組み立てて主張できて、それを実際に実行して結果にもってける」とみなされたら受かります。

 

で、反対にいうと、これがどっかで崩れて身動き取れなくなると、途端に詰むってこと。

 

はい。私の現在がここだよ!えーん

 

こんなときどんな顔すればいいか、わからないの……。

原因を二つ考えた。

 

①博士のロールモデルがなかった。

うちの大学はちっちゃいので、同じ専攻に博士はいません……。それに、のーんびりしてます。

先生方から話は聞いていたが、昔と今の博士の育ち方が結構違うらしい。

SNSとかブログとかで情報を集めてたけど、「目に入っていない情報は知らないので探せない」状態。

例えば学振とか1年生の春に出すって、大きい大学だと皆書くし大学の研究支援の事務室もちゃんと発信するけど、うちだと話題にすら上がらず存在を知ったのは春ってね。

これは私のサーチ力不足が悪い。でも知らないものはサーチできない……。

 

②3年間の研究計画が曖昧

修士論文をもとに広げていくのはセオリー通りだけど、「博士で」何を・どこまで・どのように明らかにするのか全然決まってない。

指導教授が変わったのも痛い。

学部から修士までみてもらってた先生が博論審査に必要な資格をもってないため、他の先生に変更になった。

変更先の先生は4月までわからず、それまで碌に相談できない+変更後あまりうまくいってない。

これは人間関係だから仕方ないけど、お互いに乗りこなせるようにならないとこの船は沈むぞ……。

ううん、うまくいっていないのを人のせいにするのよくない。

けっこう放任+あんまり話きいてない先生の乗りこなし方って何?「専門外なので…。」っていわれても、教授会であなたにきまったんじゃないの?コメントくらいできますよね?っていう気持ちになっちゃう。

とりあえず副査の先生+前任の先生にも相談することに加えて「自主性」をもっともちたいな。でも、もし自分でなんでも決めてぱっぱと研究進めて勝手に論文出して発表もする院生に、なにもせず勝手になることはできないとおもうの……。

 

 

周囲に他の博士がいないし、居たとしても今の私は研究者として戦力外で、でもこれからどうしたらちゃんとした研究者になれるのかわからないのが現状っていうわけです。

 

 

 

で、今の日付を見てください。

学振の提出締め切りの一週間前を切っている日の、深夜満月です!

おそらく、私は今回の学振は出せないでしょう。詳細をちゃんと書けないし、実績もないしね!

これが窓際族博士クオリティってわけよ!笑い泣き

 

 

でも入っちゃったもんはしかたない。

やりたい研究もあるし、無職になるわけにもいかない。

今の雰囲気として、こなさなきゃいけないタスクを一回でもミスると終わりって、もう何もかも無駄って感じがある。

自分も今そう思ってる。

こんな申請一つちゃんとできないなんて、むいてない。

 

でも、ここまで頑張ってきた自分にちゃんと結果を持ってきてあげたい気持ちと、先生とか家族とか後輩への見栄はあるかな。

零細大学院でも後輩はいるし、超久しぶりの博士生に期待してくれる先生も(多分)いるからね。

セルフネグレクト気味だから、理由が外部にある方がやりやすいな。

安定の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」である。

だが、これのおかげで今日まで進んできた気がする。

 

 

グダったし、今日はここまで。

こんな甘えた「ちゃんとしてない」博士だけど、がんばってみるよ。

今年の学振申請は多分諦めちゃうけど。

でもそんな自分だからもてる「問い」があって、社会学はちゃんとそれにこたえてくれるってとりあえず鼓舞しておこう。

 

 

しばらくはこんな風に、文字書く練習がてらだらだら書く予定です。

 

ではまた今度ーラブラブ