2019.5.1ー2020.1.11修正

■ 読書雑感:「クルド・国なき民族のいま」
(勝又郁子、新評論、2001.11、@2600)
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■ はじめに
1 「クルド人」という言葉を日本の新聞で見るようになったのはいつだろう?
(1-1)米国・多国籍軍によるイラク戦争により、2003年、イラク共和国のバース党政権崩壊後の混乱、権力空白の中で、2014年6月、イスラム原理主義と言われるイスラム国(IS、iISIL)がイラク・シリア地域を勢力下にして、建国を宣言した。そのISと戦う実戦部隊、勢力として、「クルド人」が注目されることになる。そしてクルド人の居住地域は数か国に跨っていて、それぞれの国から分離独立を懸念されていて、規制・弾圧を受けているという話が伝わった。ちなみにISは、2018年、米国が勝利宣言をしたが壊滅ではなく、残党が拡散して世界でテロ活動を続けている。


(1-2)その2003年12月に、イラク共和国のフセイン大統領が捕まって、バース党政権が崩壊したとき。新憲法・新国家を作るときに、国内にある勢力として、イスラム教99%のうち、シーア派60%、スンニ派40%という分類がある。他に民族的にアラブ人79%、クルド人16%、アッシリア人3%、トルコマン2%の、それぞれの部族があり、部族長が力を持っているので、国家の再建には、勢力の均衡が課題になっている。といった中に、クルド系部族長が、有力政治家として名前が出てきた。


(1-3)その後、イラクのクルド人自治区が安定してきた中で、独立の賛否を問う投票が、諸外国の反対を受けたが、2017年9月に強行して9割以上が支持したが、イラク中央政府に独立は阻止され、クルド人の中でも投票に賛否があり、分裂しているという話が伝わった。2019年5月時点でイラク国内の自治区は存続して戦禍からの経済復興に力を入れているが、独立論議は先送りになっている。


2 もともと1914ー1918年、第一次世界大戦後に、1923年、オスマン帝国が崩壊して、欧米が国境線を勝手に引いたので、オスマン帝国内にあったクルド人の居住地が数か国に分かれてしまった
(2-1)関係国の利害があるにしても、当事者の希望を尊重して、分散した居住地をまとめて、ひとつの国にするのが良いのではないか。トルコの国土は広いので、一部を分けてもいいのではないか?シリアはISに支配地を拡げられて、ISを押し返すことができたのは、クルド人のおかげだから、自治区を認めてもいいのではないか?


(2-2)ところが、トルコはクルド系団体をテロ組織と呼んで、強行に反対している。シリアの反政府勢力というのは、欧米が支援するものと、ISの亜流のようなのが混在して、分かりにくい。そもそも欧米が言うように、アサド政権を壊して、シリアが安定するとは考えられない。イラクの二の前になりかねない。


3 以上のように分かりにくい「クルド人の歴史」「クルド人が住むクルディスタンという地域」、「分散している各国ごとの、クルド人政策の歴史」「各国ごとの、クルド人の抵抗の歴史」を、本書を通して理解してみよう。
~日本では詳細を知られていないクルド人だが、欧州では、オーストリアをはじめ、「クルド人が住むクルディスタン」から流出した欧州居住者も多く、人権問題として一定の関心がある課題になっている。
~最近、イラクの自治区が安定してきて、国際社会での地位を築きつつある。
~また埼玉県蕨市や周辺に集まって住むクルド人(概ねトルコ人)が話題になることもある。出入国管理法の改正で、日本で働く外国人が増えることを見通すと、共生共存の先例にもなる。
 日本政府、日本人も、クルド人の歴史に、一定の知識、見解を持つことが必要だろう。


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■ 読書雑感:「クルド・国なき民族のいま」
(勝又郁子、新評論、2001.11、@2600)


1 著者は
~略歴に、東京生まれ、国際基督教大学教養学部卒業。テレビ・ラジオのキャスターを経て、フリージャーナリスト。1986-1995年に、バーレーン、ウィーン、ロンドンで生活。季刊「アラブ」編集委員、放送大学講師。他の著書にNHK出版「イラク わが祖国に帰る日」。
 なお高校は、静岡県立沼津東高等学校を出て、2017年の全体同窓会で記念講演をしている。
~ウィーンに住んでいたとき、クルド人と出会い、中東、欧州の居住で得た、知人、友人の目線も混ぜて、書き進めている。


2  本の内容は?
~著者がクルド人と出会った1990年以降は、直接の見聞を含めて、1990年以前については、クルド人や研究者への取材をもとに構成している。
~章立ては、第1章「死刑判決」は、トルコの左翼的戦闘的政党PKKの党首が捕まり、1999年に死刑判決を受け、武装闘争から政治組織に移行する。
第2章「北イラクの風景」は、イラクの2大政党であるKDPとPUKの、武力衝突を含むライバル関係を説明する。いずれも部族を基盤にする政党だが、PUKは社会主義的な傾向がある。
第3章「英雄伝説」は、イラクの主要政党であるKDP、特に中心になるバルザーニ部族の歴史。自国になるイラク政府との攻防、近隣国からの制約、ソ連・米国やイスラエルとの関係等。
第4章「部族の暮らし」は、有力部族のひとつで、イラク政府に付いて、バルザーニ部族と戦ったスルチー部族、部族長(アガ)の話。
第5章「イランのクルド」は、イランの国王(シャー)王政時代のクルド人抑圧、イスラム国家になってからのクルド人抑圧、指導者暗殺。
第6章「トルコのPKKとオジャラン」は、トルコで武装闘争を行った極左戦闘集団・PKKの歴史。特にその党首。
第7章「クルド人のつぶやき」は、欧州をはじめ、各地のクルド人の話。例えばトルコからオーストリアに来た。ロンドンに来た。またイラクKDPの党内抗争に敗れた親ソ連・社会主義的元議長(イギリス在住)。かつてイラク政府に追われて、11年間ソ連に逃れて帰国したKDP戦闘員。
第8章「北イラクの指導者たち」は、2003年12月、イラクのバース党政権が崩壊して、クルド人自治区が安定してきた最近の、指導者の素描。バルザーニ、その後継者と見られる甥。2番目の有力政党の党首タラバーニ。
第9章「町」は、1980-1988年、イラン・イラク戦争後の1988年に、イラク政府の毒ガス攻撃を受けて、その後の自治区で、イスラム政党(IMK)が管轄しているハラブジャ。イラク自治区とイラン国境の町、貿易と前線基地。戦闘が減り、商売が始まり、部族戦闘員(ペシュメルガ)が、自治政府の兵士に世代交代する。


2-2 本の内容に関する、これからの記述について
~前記2のとおり、もとの章立ては、各国・各時代に飛んでいる。以下の記述では、国ごとに本の内容を見ていく。クルド人が住む各国の政治状況が、各国内のクルド人の民族自決運動の方法、歴史に反映しているからである。
~まず、クルド人の「離散の地」(ディアスポラ)の概要を見る。次に各国のクルド人の民族自決運動の歴史を見る。


3 クルド人の「離散の地」(ディアスポラ)の概要
(1) クルド人の人口(p18)
~(p18)クルド人が住む地域「クルディスタン」の面積は、日本の1.4倍、フランスと同じぐらい。
~人口は3,000万人以上。中東では、アラブ人、トルコ人、ペルシャ人の次に多い。クルディスタンは、その三大民族の地域がぶつかるような場所にある(p6)。
~1990年推計、各国内で、トルコ全人口の24%(1370万人)、イラク全人口の23.5%(440万人)、イランの12%(660万人)、シリアの9%(130万人)、旧ソ連30万人。また(はしがきⅰⅰⅰ頁)難民等になって欧州に100万人。


(2)第一次大戦敗北によるオスマン帝国の解体、国境分割(p78)
~(p78)第一次大戦の戦勝国と敗戦国が講和条約を結んだ(ベルサイユ体制:民族自決を含む)。このうちセーブル条約では、オスマン帝国(敗戦国)内のクルド人、アルメニア人が将来独立することを認めた(p78図)。このうち現トルコ地域は「条約発効から1年以内の手続」、現イラク地域では「2年以降に独立したクルディスタンに加える可能性」が言われた。
~(p78)(p7-p8)ところが後にトルコを建国する、オスマン帝国(トルコ系)の軍人、(p186)ムスタファ・ケマル(満点)・アタチュルク(トルコ人の父)が巻き返して同条約を破棄した。代わるローザンヌ条約で、クルド人が住む地域「クルディスタン」は①現トルコ②現イラク(イギリス委任統治)③現シリア(フランス委任統治)に入り、他にイラン内、ソ連内の5か国に分かれた。


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【その2】読書雑感「クルド・国なき民族のいま」

(3)第二次大戦後の米ソ対立と、近隣国の勢力均衡に利用されるクルド人

https://ameblo.jp/t1997/entry-12566710068.html