今は昔!ホームステイ・フランス ❷ストラスブール.その③ | あの時のフランス,そして今のわたし

あの時のフランス,そして今のわたし

50歳手前から,偶然,フランス語が私の生活に. 
 不安と緊張の3日間ホームステイ・2週間の語学学校から・まさかの長期留学までの体験記です.
・・・チャレンジ・問題ボッ発・ いっぱい泣いたり,笑ったり!
そして今の私も! 
どうぞよろしくお願いします♡

 

前回,マダムのお誕生日の様子をお話を読んでいただきました.

 

          

 

 

 

お子さん・ご親戚,総勢16人!

    そしてマダム・ムッシュ,私たち夫婦!

 

     結論!

 

      あんなに疲れたことはなかったです💦

 

 

フランス語が頭を越えて,飛び交う!

 

皆さんは,近況,情報交換,お料理の話題,果ては深い政治の話まで・・・

 

近くに座られた男性は,私たち夫婦を気づかってくださって,英語で同時通訳を!

 

お優しい気持ちにこたえようと,耳を傾け集中するが,

 

   中途半端な英語能力のわたしの脳は,どんどん壊れていく・・・泣

 

そんな私たちを,察知してくださったのか,

 

マダムが,

  「もう,ご自分のお部屋で休憩なさってね」と,優しくひと言 お願い

 

夕方5時半から,私達は自室に戻り,なんと!翌朝まで眠りこけたのです!

 

フランス語会話力の貧弱さを痛感しました.

        (穴があったら,入りたい・・・ホンネ)

 

 

あんなに,皆さんとビズして出だしは好調でしたが・・・.

 

 

 

驚いたのは,マダムのお誕生日だった,というのに,

 

マダム自ら,たくさんのお料理を準備されていたこと・でっかいケーキまで焼かれていたのです.

 

フルコースの為に,大量の食器! 

  それにともなって,大容量の食器洗剤機がつねにフル回転!

 

それでも使ったお皿の山が!   女性数人で手洗いも!   全てが「ハンドメイド」

 

 

そうそう,私たち夫婦が手作りした「お好み焼き」,嬉しいことに好評で,

 

「ピッツア・ジャポネだね」と名前をいただきました ^^;

 

 

そんなこんなお昼前から始まったパーテイは,延々と続いたようです・・・

   ( 爆睡中でしたので,いつ解散なさったのか,定かでありません 笑  )

 

 

 

 

 

経験できないような機会に恵まれ,貴重な体験だったと思えます.

 

何より,招待してくださったマダムに感謝あるのみです.

   

フランス語・英語で,皆さんの会話に入っていけるレベルまで,まだまだでした.

 

 

そして,翌朝から,また日常が戻ってきました.

 

土日を利用して,ストラスブールから電車で1時間の「ナンシー」や「コルマール」に2人で小旅行.

 

 

 

       

                  スタニスラス広場の黄金の門の前で

 

 

こうして,夫のバカンスは楽しくも,デッカイ経験と共に終わっていきました.

 

ある日,マダムが・・・

 

「ムッシュが,ホームステイを止めたいと言ってるの・・・

    私は,続けたいのだけど・・・」と話してくださいました.

 

・・・なんて言ったらいいのだろう.

 

ご高齢でもの静かな・ムッシュには,学生達の受け入れは,決して容易でないよう.

 

 

・・・お気持ち,とってもよく分かります. 続けられたら良いですね! 私も願っています.

 

と言ったつもりだけれど,

マダムは少し気落ちされた様子だったし,ムッシュのお気持ちを尊重されてる様子だった.

 

 

この地方は第二次世界大戦時,

 

ある日から,フランス領になったり,

 また,ある日から,ドイツ領になったり,が繰り返された過酷な時期があったと聞いた.

 

ゆえに,フランス人で,英語が話せる人が多い,と知った.

 

マダムも,そのお一人だと分かりました.

 

マダムは,ご高齢であるにもかかわらず,

 

寛大,社交的,気配りの達人,ポジテイブ,働き者,そしてお料理上手の

 

     スーパーおばあちゃま!でした.

 

           このご夫婦に出会えたこと,本当にしあわせでした.

  

 

           

               

           

             (クリスマスに届いたカード)