前回のブログをアップした後、
まるで深く沈んでいたかの様な記憶が,次々と浮かび上がってきた。
それは・・・
シャルルドゴール空港に着いて、私の気持ちは、ずっと
( 夫は、ちゃんとアパートの前に着いてるだろうか?」
( フランス人大家さん・リンダの物件の説明をちゃんと、理解して、使いこなせる様になるかな?)
そんな不安を胸に、緊張の面持ちで歩いていたら・・・
『 お〜〜い! ココ、ココ! 』
え〜っ? パリのど真ん中で、まさかの日本語! それも聞き慣れた声!
レンタルをお願いしていたアパートの4階のベランダから、気楽そうに!嬉しそうに!
夫がワタシを呼んでいるではないか!
( どうして、入れたの??)
その晩、食事をしながら夫に尋ねた。
「 う〜ん!先ず、僕が一番にアパートの前に着いて、遅れて、リンダがやってきた。
彼女、英語で話し始めるから、オッ!バイリンガル??と思ったけれど、
いざ難しい事を話したくなると、オートマチックにフランス語に変わった。
で、
" ちょ、ちょっと待ってください! 間もなく、フランス語が分かる妻が到着するので! "
と言ってたら見えたのよ、懐かしい顔が。」
" フランス語が分かる妻 " って、ワタシのこと? 嬉し・恥かし!
兎に角、そういう流れだっだという事が分かり、シャワーもちゃんと浴び、
「暮らす様に滞在するパリ」の初日は、過ぎていった。
トウルーズに向かった時に使った東駅のある、伝統あるレストラン
「 トラン・ブルー」あの時は、1人で2つのスーツケースを持って、
レストランがある、2階への長い階段を登る事が出来なかった・悔しい思い出が。
なんでも、屋根に近い場所に飾られている楕円の額縁の
大きな絵は、今でいう、当時の「ガイドブック」だったらしい。
この駅から向かう場所の風景画が、魅力いっぱいに描かれて、旅情を掻き立てている。
今では、有名になった「ロダン美術館」のお庭で。
どうしても、「ロダン」と聞くと、「カミーユ・クローデル」を思い出す。
フランスでは、2人の激しく熱いお話は、有名なものだとか。
映画になるくらいだものね.
今日のひとこと:
夏講座はお休みしているが、いつものクラスの仲良しさんからメールが。
「仏検の2級・1次に合格したんだけど、2次の会話試験でさ、もうダメ!
な〜んも話せなかった」と。
2級という高い壁に頑張ってる、友人に元気を貰った。 忘れずにメール。
ありがとう! 心から・・・