ボンジュール・リンダのアパート❷ | あの時のフランス,そして今のわたし

あの時のフランス,そして今のわたし

50歳手前から,偶然,フランス語が私の生活に. 
 不安と緊張の3日間ホームステイ・2週間の語学学校から・まさかの長期留学までの体験記です.
・・・チャレンジ・問題ボッ発・ いっぱい泣いたり,笑ったり!
そして今の私も! 
どうぞよろしくお願いします♡

 

前回のブログをアップした後、

 

まるで深く沈んでいたかの様な記憶が,次々と浮かび上がってきた。

 

     それは・・・

 

 

シャルルドゴール空港に着いて、私の気持ちは、ずっと

 

 

( 夫は、ちゃんとアパートの前に着いてるだろうか?」あせる

 

( フランス人大家さん・リンダの物件の説明をちゃんと、理解して、使いこなせる様になるかな?)

 

 

そんな不安を胸に、緊張の面持ちで歩いていたら・・・

 

『 お〜〜い! ココ、ココ! 』パーパー

 

え〜っ? パリのど真ん中で、まさかの日本語! それも聞き慣れた声!

 

レンタルをお願いしていたアパートの4階のベランダから、気楽そうに!嬉しそうに!

 

夫がワタシを呼んでいるではないか!

 

( どうして、入れたの??)

 

その晩、食事をしながら夫に尋ねた。

 

「 う〜ん!先ず、僕が一番にアパートの前に着いて、遅れて、リンダがやってきた。

 

彼女、英語で話し始めるから、オッ!バイリンガル??と思ったけれど、

 

いざ難しい事を話したくなると、オートマチックにフランス語に変わった。 

 

で、

 " ちょ、ちょっと待ってください! 間もなく、フランス語が分かる妻が到着するので! " 

 

と言ってたら見えたのよ、懐かしい顔が。」

 

        "  フランス語が分かる妻 " って、ワタシのこと? 嬉し・恥かし!

 

 

兎に角、そういう流れだっだという事が分かり、シャワーもちゃんと浴び、

 

「暮らす様に滞在するパリ」の初日は、過ぎていった。zzzzzz

 

 

 

 

 

トウルーズに向かった時に使った東駅のある、伝統あるレストラン

 

  「 トラン・ブルー」あの時は、1人で2つのスーツケースを持って、

レストランがある、2階への長い階段を登る事が出来なかった・悔しい思い出が。 

 

 

 

なんでも、屋根に近い場所に飾られている楕円の額縁の

 

大きな絵は、今でいう、当時の「ガイドブック」だったらしい

 

この駅から向かう場所の風景画が、魅力いっぱいに描かれて、旅情を掻き立てている。

 

 

 

今では、有名になった「ロダン美術館」のお庭で。

 

どうしても、「ロダン」と聞くと、カミーユ・クローデルを思い出す。

 

フランスでは、2人の激しく熱いお話は、有名なものだとか。

 

映画になるくらいだものね. 

 

 

 

 

 

今日のひとこと:

  夏講座はお休みしているが、いつものクラスの仲良しさんからメールが。

 

「仏検の2級・1次に合格したんだけど、2次の会話試験でさ、もうダメ! 

 

な〜んも話せなかった」と。

 

2級という高い壁に頑張ってる、友人に元気を貰った。 忘れずにメール。

    ありがとう! 心から・・・