私の終戦2

 語り継ぐ人在りてこそ終戦日  林 仁子

4年生の夏休みの終わった2学期から通った学校(国民学校)を卒業になった。

戦後の厳しい状況下で楽しい行事も少なかったが、この期間を過ごした生活としては充実していた。

都市部に無い古い小さな町には、背後に農村部があたこともあって、ほとんど生活に必要なものは整っていた。

味噌屋、醤油屋、酒造屋、氷屋、油屋、薬屋などは言うに及ばず、畳屋、桶屋、鍛冶屋、提灯屋、傘屋、呉服屋、古着屋、郵便局、銀行、医院、消防署、駐在所、寺2か所、神社2か所など、何れも何とか徒歩圏なので、都市へ行かずとも困ることはなかった。筆者の現在住んでいる水戸市より格段に住み良かった。

小学生の自分のお気に入りは、時々日本刀を作っている鍛冶屋、青竹から作っている傘屋、同じく青竹から作っている提灯屋だった。

これらお気に入りの店には学校帰りに暫く立ち寄ってジッと作業に見入っていた。

今日の児童や生徒がこぞってスマフォに噛り付いている姿は気の毒と言わざるを得ない。

この子らに子どもの頃の思い出を聞くと、スマホだな!では情けないではないか。世の中が不自由な時代ほど、思い出が沢山出来るとは?

失敗したことも無いので、反省すべき事などありません、と胸を張る御仁が日本の総理閣下だが、何もしなかったので、失敗など無いよ!と言っているのに等しくはないだろうか?