たいちゃんが
家族にくれた最後の1週間
25日は
朝の散歩も元気に歩いて
朝ごはんも食欲旺盛
トリミングに行って
夜ごはんも食欲旺盛
前日のクリスマスケーキの残りも
ペロリと食べて
いつもと変わらぬ夜を過ごして就寝
夏頃からパパと一緒の部屋で寝ていました
そして~
日付けが変わった26日深夜1時頃
パパが私が寝ている部屋に来て
「たいがの様子がおかしい」と。
飛び起きてたいちゃんの元へ行くと
今までに見たことのない苦しい呼吸
両足をピーンと伸ばして体を反ってを繰返し悲痛なうめき声。
2階で寝ていた娘ちゃんも呼んで。
これが
「覚悟しておいて下さいって言われた突然死なの?」
「覚悟なんてできてない」
「まだ逝かせるわけにはいかない」
名前を呼びながら声をかけながら…
ただただ必死だった。
朝の診察まで待てない❗と
大阪の夜間救急病院まで行くことに。
26日は娘ちゃん仕事が休みだったので
あいらも一緒に夜間病院へ。
色々と検査をして
点滴など必要な処置をしてもらい
かかりつけ病院へ戻ると決断。
もう治療するではなく…緩和です
朝と夜
病院で点滴、痛み止め注射、管を通しての排尿。
それでも3日間は痛みに苦しみ続け…
ただそばに居てさすってあげることしかできなかった。
穏やかに過ごさせてやるって約束したのに
悔しくて悔しくて涙が出た。
29日から違う薬により痛みがかなり緩和。
大好きなお友達エイトちゃんタイガくん
オカンさんが会いに来てくれて
それからは辛いながらもより穏やかになりました
友達の愛パワーはスゴいね
30日まで意識もあったので
家族みんな たくさんたくさん話ができました。
たくさん抱きしめ
たくさんありがとう
たくさん褒めてあげて
家族みな号泣したり
笑顔でお話ししたり
たくさん たくさん たくさん
たいちゃんとお話しました
たいちゃんのその時の瞳
ずっとずっと忘れないよ
31日にはほとんど目はあけなくなり…
でもね、
31日朝病院からの帰り道…
我が家は🅿🚗が自宅から50㍍ほど離れた場所にあるので
パパが抱っこして自宅に向かっていたら
意識もうろうとしていた たいちゃんが
ククク…って鼻をならしながら
必死で頭をあげようと
私が「パパ たいちゃん 見たいって言うてる❗」って
たいちゃん…空をじっと見つめて
私「空きれいやなぁ」って。
たいちゃん…辺りを必死で見ていたので
私「この道でたくさん遊んだなぁ~車椅子も頑張って歩いたなぁ」って。
たいちゃん…家の前の桜の木をじっと見つめて
私「桜の舞う季節 必ずうーちゃんと帰っておいでよ」って。
パパに抱っこしてもらって
家の回りを少しだけ歩いて~
たいちゃん…しっかり見つめていたね
それからは眠り続け…
1日午前9時
小さな小さなくしゃみのようにクチュンって言って…左手を2回ピクピクと動かして
まるで「バイバイ👋」ってしたかのように
静かに穏やかに旅立っていきました。
娘ちゃんの出勤15分前だったので
みんなで看取ってやれました
涙涙で出勤し1日頑張って仕事した娘を褒めてあげました
パパも息子もお正月休み
娘ちゃんも2・3日はお休みで
ずっと寄り添うことができ
お葬式も家族みなで送ることができ
たいちゃんは
本当に最後まで家族思いのコでした
急変してからの1週間
私と家族に
たいちゃんがくれた
最後の優しさだと思ってます
この1週間がなければ
心が壊れていたことでしょう…
上手く言葉で表現できませんが
心に大きな穴があいてしまって
泣いても泣いても泣いても
寂しくて悲しくてたまらないけど
たいちゃんと最後に交わした約束
「お母さん笑顔で頑張るからね」を
守らないとって思えるんです
たいちゃん…
お母さん ちゃんと笑えているかな…
もう少し時間がかかりそうだよ…
今日も いつもの日向ぼっこ
きっと そばに居てくれてるんだね