明日で、震災から1か月が経とうとしております。
記録もかね、思ったことを書きます。
前を向こう、向こうと思いつつ、
心の底は、あの日から時間が止まったままでした。
実家に帰り、変わり果てた海岸を見た。
人気のない街を歩いた。
映像や写真なんかじゃ伝わりきらない現実が、
そこにはあった。
本当に沢山の思い出を、この震災で失った。
小学校から昨年まで、
何度も何度もお世話になった相馬市の自然の家は、津波で泥に埋もれた。
夏に遊んだ海水浴場は、地盤沈下の為に海の中へ沈んだ。
3年間通った高校は、一時、遺体安置所になった。
仙台に行く時に何度も通った浜街道の周りは、がれきのまみれに。
その道で一昨年のお盆の時に見た、
送り火に照らされる商店街がとても綺麗で、頭から離れない。
いわきに行くたび食べに行った海鮮屋さんは、津波で半壊した。
魚が全滅してしまったアクアマリンふくしまには、何回訪れただろうか。
トライアスロンの大会で応援に歩いた街並みは、見る影もなかった。
楢葉町のJビレッジにも、トライアスロンの大会でいった。
いまや、原発事故の影響で、再び行けるのかさえもわからない。
親戚や、友人も何人か流された。
哀しくて、悲しくて。。
ぶつける事の出来ない怒りが、心の中でくすぶり続けた。
また、
実家で過ごした日々は、放射能の恐怖との共存でした。
目に見えない危険は、人々を必要以上に恐れさせ、人々の感覚を麻痺させる。
それでも人々は、その街で生活している。
危険か、危険じゃないかなんて、その時には分からないもの。
まして、今出ている放射能は即発性の危機ではない。
だから、余計に怖い。
帰ってすぐの市内は、廃墟そのものでした。
車の通りはない。家の明かりもない。
店は閉まり、崩れた家がいくつもある。
ノラ犬はいたるところで悲しい目をしていて、
飼い主が帰って来るのを待っている。
海の方を見ると、残った防砂林が数本立っていて、
その手前はがれきが一面に積み上げられていた。
この街は、復興出来るのだろうか・・・
嫌でも不安になった。
しかしそれも、帰る頃には変わっていた。
この変化は、果たして良いものかは判断しづらいところだが・・・
先の見えない避難生活に、市民の殆どが帰ってきたのだ。
お店が開いている。
車が通っている。
人が歩いている。
この当たり前のことにさえ、感動してしまった。
放射線量に麻痺した私は、最後はマスクさえ付けないまま外にでた。
そこには、春のにおいがあった。
収束の見えない原発。
根拠のないフクシマ差別。
辛いことは、数えられないほど多い。
不安も、沢山ある。
けれど、私は生きる。
なぜか、それは生き残ったから。
自分には、ボランティアぐらいしかできないけど、
私が生きることが、復興につながっている。
被災者も
そうでない人も
関係ない。
一人ひとりが生きていることが、
未来への一番の希望なんだ。