赤井寅三 セラピー -6ページ目
 靴下が苦手で、寒くなければ家の中では裸足で過ごしている。幸い冷え性ではなく、むしろ足が必要以上にポカポカしてくるのが気持ち悪く感じるタチなのだ。靴下の密着感や蒸れてくる感じも気に入らない。だから裸足がいい。断っておくが水虫に悩まされているわけでもない。
 
 毎年、春が進んで、ゴールデンウィーク辺りになると、外出の際にも靴下を履くのが嫌になってくる。そこで、雪駄の登場である。
 サンダルよりも雪駄が好きなのは、鼻緒でがっちり捉えられるからだ。下駄も持っているが歩く音がでかすぎる。だから雪駄の出番が多くなる。
 
 雪駄で歩く時は、自ずと普段よりも歩くペースがゆっくりになるのもいい。まず、走るのには向いていない履物なので…。それに、変な歩き方をするとすぐに鼻緒が擦れて足の皮が剥けてくるので、足運びも慎重になる。歩いていて背筋が伸びる気がしてくる。ひょっとしたら、着物の人の歩き方がしゃんとしてくるのは、足運びの良さも影響しているのではないか。歩く姿勢の悪いお相撲さんというのもあまり見たことがない。鼻緒の履物には、こういうメリットもあるのではないだろうか?
 逆に、長い距離を歩いたり、雨で足が濡れるような日は雪駄は履きたくない。両方とも、ほぼ確実に鼻緒にやられる。風呂に入っても擦れて剥けた足が痛むし、絆創膏を貼らないといけなくなる。当然、次の日から数日は雪駄を履けなくなるから、嫌でも靴下を履かなくてはならなくなる。靴下も嫌いだが、素足で履く靴はもっと嫌いだからだ。
 
 さあ、雪駄の季節(個人的に)。気持ちのいい天気の日に雪駄でぶらつくのが楽しい時季になってきた!
 くどいようだが水虫に悩まされているわけではない。
 
 
 
 
 
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 「『花鳥風月をいいなって思うようになったら年をとった証拠だ、ってタモリさんが言ってた』って井上陽水さんがテレビで言ってた」と、私の母親が言っていた。伝聞の伝聞だからタモリさんの一言一句が正しいのかは判断できないが。なるほど、そうなのか。
 
 年をとったからなのかはわからないけど、個人的にこの数年間で身近な自然を「きれいだ」と思うようになった。特にこの季節は好きだ。辛い冬を過ぎて花が咲き、緑が芽吹き、だんだん暖かさが空気にも地面にも当たり前のものになっていく、この時季が好きだ。
 桜の花が春の到来を告げる鮮やかなファンファーレだとしたら、新緑は静かにピアニッシモから始まっていく第一楽章のようだ。いつの間にか芽吹き、増えていき、「春」を定着させる。「春だ、って堂々と言っていいんだよ」と教えてくれている気になる。フォルテにはならなくていい。それは夏にとっておくとして、春は些細な春を楽しめればいいと思う。
 
 今朝は小雨。傘をさして近所の散歩をしてきた。入園したばかりの幼稚園児たちがいつもよりもゆっくりとしたペースで登園している。長靴の子も多いので、みんなの足音もいつもとは違って「がっぽがっぽ」と言っている。かわいいなあ。
 その先の神社に入ると、昨夜からの雨で揺さぶられて落ちた葉や小枝が、石づくりの参道の浅い水たまりに浮かんでいる。空を反射して銀色に光っている鏡のようだ。本殿前の玉砂利も一面しっとりしていて、歩くと、水気を含んだ柔らかい音がする。どことなく色気を感じる。鳩が境内を普段通りに歩いていたが、近くに烏が降りて来たため飛んで行った。こいつらの行動は晴れの日と変わらないのが笑えてきた。
 安売りで有名なスーパーでは、トラックを横付けして搬入作業をしている人がいた。パラパラ降る雨に厄介そうな顔で台車を押していた。でもこのおっさんもちょっと前まではダウンを着ていた。今朝は雨だけどあったかくなってよかったね、と心の中で声をかけてあげた。
 
 まあこういった普通の風景なんだけれども、なんとなく「いいなあ」って思えてくるのだ。
 「花鳥風月」という言葉も、ルイ・アームストロングの「What A Wonderful World」の歌詞も、ありきたりのことを美しいと思えることがいいんだよ、って言っている気がする。こういう気分でいられるのは、実に楽だ。
 
 
 
 
 
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 会社を辞めて一月半。
 朝はちゃんと起きれているし、体の調子もいい。そういえば最近は風邪すらひいていない。昔から私のことを知っている方には「顔色いいよねえ」と言われる。本も読みたい時に読める。誰かと会う約束もしやすくなった。これで仕事が順調にいけば100%なのだが…。そこはまあボチボチいけたらいいなあ、と思っている。
 総じて、会社を辞めたことが、なんか良い方向に行っている自覚があるのがうれしい。春っていいですねえ。
 
 ところが。
 会社員時代には「交通費」というものをいただいていた。街の中心部まで、地下鉄定期券で毎月9,990円。約一万円。それが今では当然ないものだから、自ずと自転車の出番が多くなる。それはそれで楽しいのだが…。
 自転車で自宅から街の中心部まで、大体25分~30分。サイクリングとしてはちょうどいい距離感なのだが、厄介なのは一回帰宅してもう一度出なくちゃいけない時だ。疲れるのが問題なのではなく、時間調整が面倒臭くなるのだ。
 午後1時に打ち合わせ。終わるのが午後2時半。次の打ち合わせはこの近所で、午後4時から。さあ、一度帰宅しようか、そこら辺で時間をつぶそうか。一回帰るとすれば3時頃に家に着く。次の打ち合わせに間に合うためには3時半に出発しないといけない。家での滞在時間は30分。えええ、微妙だなあ。逆にこの辺で時間をつぶそうとなると、あと1時間半か。これも微妙だ。って考えているうちに10分も過ぎちゃったよ…。
 …という逡巡で頭がクルクルなってくるのだ。
 これは自転車ならまだ経費ゼロ(飲料は除く)だが、地下鉄となるとお金もかさんでくる。片道260円を二往復するだけで交通費は1,000円を超える。これ、結構な出費でねえが?
 
 といういろいろで、引越しを考え始めた。交通費9,990円がもらえなくなった今、その額を抑えられる場所がいい。今の自分は体調もいいし人間関係も絶好調だ。これはチャンスなんじゃないだろうか?
 よし、おみくじを引いてみよう。迷ったら神様のお告げで判断しよう。今の自分は順風だから、きっといいことが書かれているに違いない。頼みますよ、神様。
 っと、引いてみたおみくじは「末吉」。
 「縁談 高望みするな」
 「待人 来ず」
 そして、「転居 考え直せ」。
 
 …私の心にブレーキがかかってしまった。ううん、そういうことか。考え直そうか。素直さも大事だ。考え直そう。
 
 というわけで、ついつい思い立ったら行動してしまう自分のせっかちな所を指摘されてしまった気がした。とりあえず今は、次の引越し先をどこにするかの妄想プレイを楽しんでいこうと思います、神様。
 
 
 
 
 
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 いつものように7時に枕元のラームア時計が鳴る。「 ヨーオハマイター」をトーセツしてあるビーテレが点く。意識がドインフェーしてくる。手探りでラームア時計を止め、体をドーベツの上に起こす。ここで負けてもう一度ツーシーをかぶったら、今度はルーヒーまで寝てしまうだろう。私のドネニーはカイフーなのだ。ガネメーをかけてがんばってドーベツを降り、テンカーを開ける。眩しい朝日にドーグーニンモー。やっと私の朝が来る。
 ビーテレのスーニューを聴きながら狭いチンキツで簡単な朝食のビンジューにとりかかる。NHKドラアーサーの「トテチン」(今週からネーション)が始まる7時15分までにはビンジューを終えてしまいたい。同時に、ローフーを入れ始める。朝食後の朝ローフーで完全に目が覚めるのだ。いや、正確に言うと、朝食後の朝ローフー後のヒーコーで、だ。朝食の準備ができたらヒーコー豆を挽かなくてはいけない。ローフーから上がってくると、部屋中に満ちたヒーコーのいい香りが迎えてくれるのだ。

 午前中にピーコークーワーの仕事をなんとか片付け、ルーヒー過ぎの打合せのためテツカーチーのキーエーへと向かう。キーテンホーヨーでは今日の午後はメーアーだとのこと。ダンフーはリーチャーで行くことが多いのだが、メーアーはリーチャーのキーテーだ。そのかわりメーアーの日、テツカーチーは貴重なショードクムイターとなるのだ。
 ケーセンは春休み。テツカーチーの中はボーチューだらけだ。楽しそうな笑い声がけたたましい。でも、ホースマばかり見てうつむいているセーガクやリーマンのつまらなそうな姿よりはずっと好感が持てる。おっと、ボーチューを見てるアイバーじゃない。ショードクショードク。今読んでいるのはちょっと難しいものだからチューシューしなきゃ。


 打合せはガイイーに長かった。終わって外へ出たらもうルーヨーだった。
「メンラーでも食っていきますか?」
 と打合せ先の人に聞かれたので、賛成した。近くに美味いズイチャーニがあるらしい。
 ロイコーホー、スーロージャオチン、ジンバーバー、ニーカーハンチャー、ビーエーハンチャー、カーラーピーリーザーギョー、ルービー、ワイタンメンラー、ツーコートンワイタンメンラーカンアメリー、などが我々のラーハーに入っていった。

 そして帰りのテツカーチーでもショードクなのだが、さすがにもうムイネーだった。ルービーだけのせいではない。今読んでいるこの本のせいだ。
 だいたい、ビジネス書にはカタカナ用語が多すぎて読みにくいったらありゃしない。日本人の著者ならもっと日本語を大事に扱って欲しいのになあ、とシンクアゲインした。
 
 
 
 
 
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 昨日、長男が15歳の誕生日を迎えた。離婚して別居しているから昨日当日には祝福してあげられなかったが、今日、私の母親と息子の三人でお花見に行くので、一日遅れで祝ってあげられるのだ(娘はお友達とカラオケ)。

 長男が15歳になったということは、私が人の親になって15年経ったということだ。なんかそう書くと信じられないような、申し訳ないような気になってくる。はっきり言って、親の自覚が足らない親だと自覚している。
 今、離れて暮らしているからそう思うのかもしれない。離婚もせずにべったり家族と過ごしていたら「親子」であることを常に肌で感じながら生活していただろう。というより、その感覚が余りに日常的で、離れて暮らしている今の状況を異常だと感じていたのかもしれない。それが一般的な家族の肌感覚なんだろう。私は今、そういうものを感じずに毎日生きている。申し訳ないような気持ちの源はその辺りなんだろうな、と思う。
 自分が自由を求め過ぎている性格なのも無関係ではないだろう。でもそれはひょっとしたら、「無責任」と同じ意味なのかもしれない。そう考えるとぞっとする。ちゃんとしなきゃなあ、と思えてくる。
 だから、子どもたちに会う時は、一生懸命楽しんでもらうようにしている。

 今は1~2週間に一回のペースで会っている。前に会ってから今日までにあったことをおさらいして「こんなことあったよ」と話してくれる息子や娘は、やっぱりかわいい。一緒に住んでいない分、毎日は話せないから話のストックがどんどん溜め込まれていっているのだ。それをお父さんに教えてあげよう、というサービス精神はこれからも大切にして欲しい。世の中に出て行った時に必ず役に立つ心意気だからだ。学校の勉強よりも大事なことなのかもしれない。
 子どもたちの話をひたすら聞いてあげるだけでも子孝行になるんだとしたら、ちょっと安心できる。普段は親としてしてあげられることがない分、会う時はちゃんと親でいてあげなきゃいけない。親歴はこれからもずっと続いていくのだ。

 昔、息子と出かける時は必ず雨が降っていた。雨男というより「雨幼児」だった息子だが、予報によると今日は一日いい天気らしい。
 雨男ぶりはどこかへ行ってしまった。この辺りにも息子の成長を感じるんだなあ。なんつって。
 
 
 
 
 
息子/ソニー・ミュージックレコーズ

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