でも、自分で死を選ぶことは、「絶対に」してはいけないと思えるようになった。というのは、以前はそうでない時期もあったからだ。それを乗り越えられた今は「絶対に」してはならないと断言できる。この数日、ロビン・ウィリアムズさんのニュースを目にしてからは、特に。
うつと闘っていた頃の私も、死にたいと思ったことがある。未遂で済んだが、それを実行したこともある。今の私からその当時の私に声をかけることができるのであれば、当然その実行を止めるだろうが…。死にたくなる感情は医学用語では「希死念慮」と片付けられるのだそうだ。その言葉を知った時、自分の負の感情が当たり前のものと認められた、という何だか落ち着き場所のわかりにくい気分になったのを憶えている。
だから自分が今生きているのは、「希死念慮」が比較的薄かったおかげなのだろう。でも、あくまで比較的に薄かっただけであって、ひょっとしたら命が終わっていたかもしれない経験をしたのだ。死ぬのは一瞬で死ねる。生き続けるのは数十年。人間は命を終わらせる時を「絶対に」迎えるのだから、待っていればいつか死ぬ。死ぬまでに、いや、生きている間に、自分の周りの人たちに少しでも幸せな気持ちでいてもらわなければならない。それが、平凡な日常というものなんだと思う。そうでなければ、人生がもったいない。
うつは、必ず治る病気だ。一方、闘病の過程で死にたくなるのもうつの一面だ。だけど、乗り越えられたら生き続けられる。美味しいものも食べられるし、好きな仕事もやっていけるし、恋もできるし、ふらっと散歩することも本屋をはしごすることも映画を見ることも野球を観ることもギターを弾くこともできるし、隣にいる人を笑わせることもできるし、将来を夢見ることもできる。
元闘病者の一人として、今の元気な姿を周りの人たちに見せていくこと自体が、私のキャラだと思っている。
今、病気で悩んでいる人。近くの人が悩んでいる人。どうか勇気と希望を持ってください。そして、神様にお呼びがかかる前には、「絶対に」自ら命を終わらせないでください。
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