赤井寅三 セラピー -3ページ目
 私は普段「絶対」という言葉は使わないようにしている。絶対なものって、そうそう世の中にないと思っている。
 でも、自分で死を選ぶことは、「絶対に」してはいけないと思えるようになった。というのは、以前はそうでない時期もあったからだ。それを乗り越えられた今は「絶対に」してはならないと断言できる。この数日、ロビン・ウィリアムズさんのニュースを目にしてからは、特に。
 
 うつと闘っていた頃の私も、死にたいと思ったことがある。未遂で済んだが、それを実行したこともある。今の私からその当時の私に声をかけることができるのであれば、当然その実行を止めるだろうが…。死にたくなる感情は医学用語では「希死念慮」と片付けられるのだそうだ。その言葉を知った時、自分の負の感情が当たり前のものと認められた、という何だか落ち着き場所のわかりにくい気分になったのを憶えている。
 だから自分が今生きているのは、「希死念慮」が比較的薄かったおかげなのだろう。でも、あくまで比較的に薄かっただけであって、ひょっとしたら命が終わっていたかもしれない経験をしたのだ。死ぬのは一瞬で死ねる。生き続けるのは数十年。人間は命を終わらせる時を「絶対に」迎えるのだから、待っていればいつか死ぬ。死ぬまでに、いや、生きている間に、自分の周りの人たちに少しでも幸せな気持ちでいてもらわなければならない。それが、平凡な日常というものなんだと思う。そうでなければ、人生がもったいない。
 
 うつは、必ず治る病気だ。一方、闘病の過程で死にたくなるのもうつの一面だ。だけど、乗り越えられたら生き続けられる。美味しいものも食べられるし、好きな仕事もやっていけるし、恋もできるし、ふらっと散歩することも本屋をはしごすることも映画を見ることも野球を観ることもギターを弾くこともできるし、隣にいる人を笑わせることもできるし、将来を夢見ることもできる。
 元闘病者の一人として、今の元気な姿を周りの人たちに見せていくこと自体が、私のキャラだと思っている。
 今、病気で悩んでいる人。近くの人が悩んでいる人。どうか勇気と希望を持ってください。そして、神様にお呼びがかかる前には、「絶対に」自ら命を終わらせないでください。
 
 
 
 
 
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 不思議なことに、使わなくなったものがすぐに劣化する、という現象を時々目にする。
 例えば、人が住まなくなってしまった住宅がすぐに朽ちてしまったり、もう使わなくなってしまったものがボロボロになっていったり。順序として「朽ちてしまったから住めなくなった」でもなく、「ボロボロになったから使わなくなった」のでもない。人が使用しなくなったことにより劣化していくモノが多い気がする。使われなくなったモノが「どうせおれなんか…」と拗ねてグレていくのだろうか?と思うほどだ。
 
 …というようなことを改めて思ったのは、前回のこちらで、今乗っている車がもう16年目になるから「次はどんな車に乗ろうか?」と妄想している今日この頃、といった内容のことを書いたその直後、左のドアミラーが壊れたからだ。
 たぶん、スーパーの駐車場で停めている私の車の横を通り抜けた人が当たったのだろうと思われるが、買い物を済ませて車に戻ると左のドアミラーが前の方へひっくり返っていることがあったのだ。それを手で戻し、その時はそれで済んだと思っていたのだが、その後ミラー部分がぐらんぐらんに緩んできた。修理に出すと「中でミラーを支える部品が破損していますねえ」と言われたので、あのスーパーの駐車場の時だ、とわかったのだが…。
 
 前回の記事を書いたから車が拗ねたのではないか、と思ってしまった。タイミング的にばっちり合う。「あああ、ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだけどなあ」と車のご機嫌をとろうとしている自分に気づいた。
 車に人格があるわけじゃあるまいし、と一蹴はできない心境なのだ。「今までもたくさん走ってくれてありがとうな」「いやいや、これからもしばらく走ってもらうからな」とか思い、さらにその今思った言葉に対しても「今、つい『しばらく』って思っちゃったけどさ、そんな、なんていうか、限度、とか、限界、とか、全然思ってないからさあ」と言い訳をしてしまう。
 
 まあつまり、自分は浮気はできない体質なんだろうなあ、と思うわけなのです。
 
 
 
 
 
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 1998年モデルのホンダ車に、発売当時からかれこれ16年乗っている。買った当初は「4年ごとに新車に買い替えたりしていってもいいなあ」などと考えたこともあったが、まあ現実的には甘い夢だった。とは言え、何としてでも次の車に買い替えようという気持ちも起こらずここまで来た、というのが正直なところだ。
 
 16年も乗り続けられているのには、いろんな理由がある。
 まず、自分で言うのもアレなんですが、私自身の物持ちがいいこと。これは昔からそうで、小学校を卒業する時に父親から「お前のランドセルはまだきれいだな。本当に学校に行ってたのか?」と言われたのを覚えている。また、大学に入って最初のバイト代と翌月のバイト代で買ったのが、今も使っているアコースティックギターと自転車だ(どちらが先に買ったものかは忘れた)。今年で22年ものつきあいになる。それに次ぐ長期使用をしているのが、車なのだ。
 車自体が丈夫で長持ちだというのが次の理由だ。元嫁があちこちコツンとぶつけた痕があるのと、キーレスエントリーが効かなくなったこと以外は、今も完璧なのだ。これまで通勤など普段仕事としては使ってこなかったので16年目だがやっとこ走行距離が10万キロを超えたばかり、ということも関係してくるのかも知れないが、ハイブリッドでもないのに今でも燃費はリッター13kmぐらいなのだ。高速でも気持ちよく加速するし、エンジンブレーキも思った通りにかかってくれる。私の理想は「キビキビ走る賢そうな車」なので、今の車は理想に近いのだ。さすがホンダ。
 
 でも、いくら愛着があっても古くなっていくのは避けられない。これからこの車がどんどん新しくなるということは絶対にないし、デザイン的にも一昔前の感じは否めない。
 というわけで、最近は「次に乗るとしたら何に乗ろうか?」という妄想にはまっている。
 ホンダ車は好きだけど今はかっこいいのがないし、いっそのこと輸入車にしようか、ドイツのアレやアレやイギリスのアレだとか、イタリアのアレなんかもいいし、似合わないかも知れないけどフランスのアレだと新しい自分のイメージになるだろうし、スウェーデンのアレなんか意外とおしゃれだし…。
 と、街を歩きながらキョロキョロしがちなこの頃。暑くて汗がダラダラ出ていても、へっちゃらになってしまっている。
 
 
 
 
 
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 一人で事務所で仕事をしていると、本っっっ当に自分は独り言が多いことに気がついた。
 コピーを書いたり文章をまとめたりする仕事なら文言を口に出してみることは大事だと思うので、まあこれはいいとして、動画の編集やIllustrator/Photoshopがらみの仕事の時には、いちいち作業手順やエフェクトの場所の確認なんかも声に出している。間違えた時は間違えた理由もつけてぶつぶつ言っている。
 
「えーっと、ベベルとエンボス、ベベルとエンボス、どこだっけ?」
「ラスタライズ。あれ?なんだっけ?あ、テキストをラスタライズ」
「違う!文字ツール出してどうするんだ。あ、そうか。イラレのコマンドTは文字だった」
 
 …という感じで、気がついたら結構声帯が活動している一人事務所での仕事なのだ。「黙って仕事しろや」とさらに独り言でつっこみたくなる。
 ひょっとしておれは寂しいのか?
 ぶつぶつ言うのはいつからの癖なんだろうか?
 独立してから?会社員時代から?
 え、まじか!…ちょっとこれは、恥ずかしいことなんじゃないだろうか。だって会社員の時には自分のデスクの周りに人が何人いたんだろう…!
 この「いつからなんだ!」という疑惑が出た瞬間から過去にさかのぼっていく焦りは、帰宅してズボンのチャックが開いていたことに気づいたあの時に似ている。最後にトイレに行ったのはいつなのか、その後自分がチャック全開のまま、どのルートをたどってどんな立ち位置で何に乗ってどこに寄って誰と会って今に至ったのか…。数時間の自分の行動を逐一検証する会議が紛糾するのだ。当然、結論なんて出ない、徒労に終わるだけの会議なのだが。
 
 まあ、チャック全開よりは独り言の方が(他人には迷惑だろうが)恥は少ないからオッケーだろう、とここでやっと自分を納得されられた。
 「それでも今、盗聴や盗撮をされてたらいやだなあ」。あ、また独りごちてしまった。
 
 
 
 
 
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 最近はいつもいつもヒントを探している。人生はヒントに気づくか気づかないかで大きく変わるのではないか、ぐらいに思っちゃったりしちゃったりしている。まじです。
 
 大学を出て入社したCM制作会社の社長からは、広告の企画や演出をするためには「世の中の全てが勉強になる」とよく言われてきた。そのためにいろんな本を読みなさい。いろんな映画を観なさい。人を観察しなさい。と。
 
 社長が私に教えたかったこととは、「普通の人の普通の生活の中に企業の経済活動である広告を滑り込ませるためには、普通の人が見たり聞いたりするあらゆることで共感を持たせられるものを考えなくてはならない」ということだろう。だから森羅万象、あの手この手、暮らしの中の諸事万端に仕事のヒントが隠されている。
 これを聞いた新人の頃は気が遠くなってクラクラしたものだが、他に王道はないのだ。マニュアルのない仕事。自分で学んでいく仕事。それが身に付くと自分の技になっていく。だから面白い。
 
 でもこれは、何も仕事でなくても当てはまるのではないか。
 独立した今、目の前の仕事をどう片付けるかだけではなく、「この先どう生きていくか」にも応用できることが、ビシビシわかるようになった。
 自由に生きるためにはマニュアルを頼ってはいけない。あらゆることを経験することが、これから生きるためのヒントになる。あくまで、ヒントだと思う。そこから先は自分なりに応用していけばいい。
 
 だから、本を読み、映画を観て、人と会い、美味いものをたくさん食べ、旅に出て、恋をして、汗をかいて、議論をして、時々休み、写真を撮り、その道のプロの話を聞き、時には落語も聴き、たまには落ち込み、裏切られ、それでも立ち直り、また歩いていく。
 それらから得たヒントはみんな、人生を形づくる細胞なのではないか。自分の人生の主役は自分しかいないのだ。
 
 
 
 
 
「人間も箸とおんなじや。研いで出てくるのは塗り重ねたもんだけや。一生懸命生きてさえおったら、悩んだことも、落ち込んだことも、きれいな模様になって出てくる。お前のなりたいもんになれる」
 
「おじいちゃん…」

 
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