赤井寅三 セラピー -18ページ目
 猛暑日となり、ドラゴンズが五試合連続無失点勝利もしたので、ちょっと悪くなってみようと思う。

 俺はこれまで、自分の好きなものを書いて来たが、今日は嫌いなものを書くぞ。


<嫌いな食べ物>
 無い。強いて言えば不味いもの。

<嫌いな音楽>
 口先だけで歌う奴。鼻にかけた声で歌う奴。パクリもの。

<嫌いなセントラルリーグの球団>
 読売。

<嫌いな亀井>
 静香。

<嫌いな形のギターピック>
 ティアドロップ。

<嫌いな新聞のコラム>
 朝日夕刊の「素粒子」。

<嫌いな語感の菓子>
 麩。

<嫌いなペプシ>
 ペプシしそ。ど不味かった。

<嫌いなサイクリングコース>
 上り坂。

<嫌いなサイクリング日和>
 強風。

<褒めたくないブログ>
 私だけが不幸なのよ!っていうやつ。

<最近知った嫌いな外来語>
 アジェンダ。わかりやすく言えよ。

<嫌いな小銭>
 50円玉。財布を覗いて100円に見間違える。



 今日はブーちゃん(中田亮二選手)のデビューもあり、堂上直倫のいいプレーもあり、和田選手のサヨナラタイムリーもあったので、俺も少々高ぶっているのだ。これくらいの悪さは許してくれ。



 暑いしな。



 ドラゴンズ、五試合連続無失点だしな。







調子に乗ると明日以降少し怖い。
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 突然、強い西日が刺してきて、バスの車内が明るくなった。病院前で乗って来たお年寄りの一行が話を中断して、ビルの間に隠れては現れる太陽を眩しそうに探し始めた。梅雨の終わりの夕暮れ、一種不思議な光景だ。
 私もiPodのイヤフォンを外して太陽を追った。街並が通り過ぎる合間を、強い陽光が明滅する。あらゆる風景が動いている中で、太陽だけが雲の切れ間にとどまっている。バスのシートが劇場になったようだ。お年寄りたちも言葉を口にせず、三途の川に辿り着いたような顔をして揃って西を見ている。

 バスはすぐに私の最寄りの停留所に着いた。バス停を降り自宅へと歩き出し、ふと見上げると、東の空にでかい虹があった。私のマンションは丘陵地を上がった辺りにあるので、この近所は空が広いのだ。その広い空と街並との境目辺りから、急角度で虹が伸びている。ここまでの大きさの虹は久し振りに見た。子供らが帰っている時間なので、急いで家に電話を入れ、虹が見えることを知らせた。
 マンションに着くと、子供たちが最上階の廊下に集まっていた。近所の小学生や幼稚園児たちだ。背の低い子は、廊下の壁のせいで見ることができないので、階段部分に移動して見ていた。一同が同じ方向をじいっと見てしゃべる姿は、とてもかわいらしい。高学年の男の子が私に、虹に関する知っているだけの知識を一生懸命に教えてくれた。多少、私の知識とは違う部分もあったが、「スペクトル」といった単語が小学生の口から発せられると、感心すると同時に、何だか奇妙だ。

 突然の西日を見て言葉を発せずに見とれるお年寄りたちと、東の空の虹を見てはしゃぐ子供たち。妙に対照的で哲学的な、夏の夕暮れの十分間の光景だった。






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 犯罪を扱った小説や映画が多いのは、多くの人がどこかで犯罪に憧れのようなものをもっているからではないだろうか。現実でのタブーは、虚構において王道である。

 黒川博行さんの短編集「左手首」に出てくるのは、どれもチンケな犯罪者だ。罪を犯す動機のほとんどは、やはり金だ。しかし大金を手に入れる前に、退路を塞がれてしまう。犯罪者の行く先には警察やらヤクザやらといった、彼らよりも大きな力を持つ者が待ち構えている。むしろその大きな力に向かって行く羽目になることに薄々気付きながら、それでも犯罪を遂行しようとするかのようだ。第三者としてこの本を読むと犯罪者が滑稽にすら見えるのだが。

 だからノワールは面白いのだと思う。







左手首 (新潮文庫)/黒川 博行

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 予備校生の頃、RCサクセションの「カバーズ」を初めて聴いた。そのアルバムの中で一番ドキッとした歌詞が、アルバート・キングの「悪い星の下に」の中の一行である。


 いつかきっとアンタも 犯罪を犯すだろう


 厳密にはこの歌詞は忌野清志郎さんによる「日本語詞」で、原曲の直訳ではないのだが、当時の私はこの歌詞にびびった。これは誰もが思うことなのかも知れない。「お前はいつか犯罪を犯すよ」と言われて、ああ、そうかも知れないな、と瞬時に思ってしまうのだ。

 そんなことはない、俺は決して犯罪を犯したりしないぞ!

 ・・・と言い切ることができない心理。これは予備校生に限ったことではないだろう。



 犯罪者と一口に言っても幅がある。殺人や放火、詐欺なんかは別として、恐ろしいのは、人々の意見や論調が罪状を決め、必要以上の罪を被せられる「犯罪者」がいまだに次々と産み出されることだ。この法治国家の日本で、もう21世紀も十年目だというのにだ。本来人を裁くことができるのは司法のみである。そうでなければ、それは神の仕事だ。
 
 連日の力士の野球賭博事件の報道を見ていると、報道以上に「制裁の論調」が強い気がしてならない。それは実際は司法の仕事だ。報道機関やコメンテーターの出る幕は、もっともっと少なくてよい、と思う。
 我々市民は報道に流されやすい存在だ。右向け右がまかり通りすぎる社会は、「蟹工船」の時代と何ら変わりがなくなる。



 「いつかきっとアンタも犯罪を犯すだろう」と吠えている人たちが逆に犯罪を犯すかどうかを見極める目を、持つべきだろう。そこにはもちろん、今日選出された参議院議員も含まれることは言うまでもない。






 カバーズ/RCサクセション

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 うつが治っていく過程において、「揺り戻し」があることをよく聞く。これは、気分が軽くなったと思ったら、その後にまた重くなってしまうことを指す。ニュートラルを中心に振り子のように気分が動くのだ。
 これを数値化するのは無理を承知で書くと、気分がプラス10軽くなった後に、逆方向に振り子が動いてマイナス10重くなるようなものだ。私のうつは一日ごとに気分の振り幅が激しく変わるうつだったので、昨日プラス10だったのに今日はマイナス10だ、やだなあ、とそれこそ毎日一喜一憂していたので余計に疲れた。安定しないのだ。しかも、ゼロから10の動きがあるのではない。振り子のようなので、その振幅は昨日と比べて20もあるのだ(この感覚は人によって違うかも知れない。あくまで私個人の感覚である)。

 しかし今思うと、うつの真っ最中はそれは大したことではなかったことのようだ。毎日うんざりしながら過ごしていると、昨日より軽いからラッキー、という感覚は薄いのだ。また明日は重くなるのか・・・と思うと、どの道うんざりしてくるのだ。
 むしろ「揺り戻し」の恐怖は、治りかけの頃に大きかったように思う。

 うつがかなり軽くなり、それを自覚できるようになると「うつではない自分」が当たり前の状態になる。そこへ「揺り戻し」が来る。私自身、半ば「もう治った」と思っているから、その分落ち込んでしまう。あああ、俺はまだうつなんだ。いつまで続くんだろう、という風に悲観的になってしまう。
 でも以前はもっと酷かったのだ。酷い状態から比べればかなり良くなって来ているのに、「うつではない自分」を基準にしてしまうから落ち込むのだ。

 このような一喜一憂はつらい。つらいが仕方ない。私の経験を振り返ると、ここは潔くあきらめるのが一番いいのではないかと思う。
 実は今でも、あきらめている。
 「揺り戻し」がいつどんな状態で私を襲うか、私自身、身構えている部分が少なからずあるのだ。でもあきらめているからこその強さがあるように思っている。何でも来やがれ、といったところだ。
 本心ではもう二度とうつなんかにはなりたくないのは当然だが、一度経験しているから、今度は前回よりは大丈夫だ、という根拠もない自信があるのだ。あきらめは、ある意味で「達観」に近いと思っている。








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