前回の日記に、「社会人頑張ろう!」ってかいたけど、それ以前に頑張るべきことがありました。w
卒論ー
なんとか終えました。
これもおじいちゃんが亡くなって、卒論締め切り2日前(!)の葬儀で親戚に囲まれながら、親戚はこぞって医療系だったりするのにわたしは全然違う道で、でも好きなことやるのが一番よね、みたいにせっかくみんな言ってくれてるんだから、卒論ちゃんとかいてかたちにしなきゃ!っていうのと。
彼氏に「卒業制作どうしよー」って言っては「トーテムポール作ればいいんじゃね?」ってやりとりをしていたらあっというまに提出締め切り直前がせまってきてて我に返り、とりあえずこれまでやってきたこと踏まえて目次を考えたらやる気がでてきたこと。
彼氏が「まゆなら出来るよ!」って根拠ない励ましメールをしてくれて、なんだか出来る気になったこと。w
あとは外泊しまくってる理由に、卒論で忙しくて!って親にいってたんだからやらなきゃ!っていうのと。w
そんだけ忙しそうに卒論やってるっていう設定の矢先におじいちゃんが亡くなって、お通夜と告別式で2日間つぶれるので「卒論大丈夫?」って親がきにしてて。
おじいちゃんが亡くなったのが原因で卒論出せなかったとかお父さんもおじいちゃんもきになっちゃうかなっていうのもあり。
あ、まぁ正直、大学かよっておいて卒論出さなかったらなにやってたんだ!って自分的にもいやだったし。
もちろんうちの学部は卒論出さなくても卒業できるから今年も3割の学生しか卒論ださなかったくらいだけど、大学を社会に出る前のモラトリアムとか思われるのもやだし、何の目的もなくサークルとかバイトだけやってました的な大学生活送ってる人は内心うーんってかんじだし。
まぁもちろん大学のゼミ以外でちょー尊敬するほどすごいことやってる人もいるだろうけど。
でもやっぱり社会でてから大学で卒論なにかいたの?っていうのくらいはこたえられたらいいじゃん。
あやうく卒業制作トーテムポールになりそーだったわたしですが。
とかいいつつ、本当まじ全然時間かけずにとりあえず完成させたかんじだから、もっとうまい書き方あっただろうしこんなの読んでくださった先生に申し訳ないです。
なんかこれまではパワポでA4 1枚に企画書まとめる!ってかたちだったから、ちゃんと文章化してなかったし、その場で説明してってかんじだったから、文章化したことに意味がある!ってのりで。
っていうのはともかく、別に卒業制作で題材になったことが大学生活の全てでは全くなくって!
例えば、むかーしっていっても1.2年前に、医療政策を題材に調べてたことがあって。
結局当時はタバコ税が増税したこともあったし、当時の彼氏がタバコ吸ってて(今の彼氏も!!!)からだに悪いからやめてほしーって思ってたのがあいまって、タバコ税増税について他の国について調べて日本特有のタバコめぐる問題とか調べてたんだけど!
その前にはじめに扱おうとしてた題材に、医療の格差があってー。
いかんせん難しそうっておもって扱うのはやめたんだっけな、おぼえてないやー。
医療情報の格差には二つあって。
それは、患者に与えられる情報格差と、医師に与えられる(っていうか医師が得られる、得ようとする)情報格差。
地域による医療格差はその両方からくるのかな?
今回の父方のおじいちゃんが亡くなった件では、その医療格差を実感しました。
3年前に母方のおじいちゃんが亡くなった件と合わせて。
告別式とか火葬とか全て終わって、うちに帰ってきて団欒をしていたとき。
パパが、こんなことをいっていました。
細かくは覚えてないけど、おじいちゃんはよく頑張ったし、医療関係者も最善を尽くしたし、くいはないよね、みたいなことを。
で、家族が納得できるのが大事だっていうことを。
おじいちゃんはずっと病気だったしけど、相応の良い治療を受けることができたし、亡くなる数日前に急変したときも受け入れを断られたりするかな?っていうところでも病院側はよくやってくれてたみたいで。
それに対して、母方のおじいちゃんのときは田舎のある病院で、死ぬはずがないことで亡くなって、その後たくさんぼろがでて、もちろん家族は今も全く納得してなくて。
母方のおじいちゃんは79歳、父方のおじいちゃんは77歳で亡くなったんだけど、ちなみに日本人男性の平均寿命は78歳らしいんだけど、79歳でなくなったおじいちゃんは家族も本人も納得いかない形で亡くなって、77歳で亡くなったほうのおじいちゃんは納得いくかたちで亡くなりました。
これってわかりやすい医療の地域格差だったよなーって思います。
1,2年前に、医療の地域格差なくすにはどうしたらいいんだろう?って解決を考えようとしたけど難しくて断念して。
わたしにとっての身近な事例がこの二つしかないからなんともいえず。
そして、最近マイブームなのかもとからこういうのが好きなのか、人類みな好きなものなのかわかんないんだけど、ノンフィクションの人が亡くなる本を読むことが多いです!
つい1週間か10日くらい前には、24歳で乳癌とかその後の転移で亡くなった女の人の本を読んで、今日は風間しんごのお子さんが去年交通事故で亡くなったことについての本を読みました。
適切な医療を受けて納得できたかどうか、っていう軸でだけ分けるとすれば、癌で亡くなった女の人はその意味では納得できてるとおもう。
けど、これは医療がどうのっていうか、社会構造とか大きいわくになるけど、青信号で渡ったのにトラップにひかれて子供がなくなるっていうのは、家族も納得できないほう。
家族が納得できるかできないかが大事っていってたけど、その納得できるかできないかは社会構造によってどっちにもなりうるんだとおもう。
逆に言えば、例えば原因不明の癌になるとかはもう神のみぞしるしどうしようもできなかったんだからしょうがないとおもえるけど、医療ミスとか交通事故は人為的に防ぎようがあることなんだってこと。
そしたらそれが防げたら全て納得いくようになって、わだかまりが残らないで家族もその後生きていけると思いました。
例えばその社会構造を正すために、交通事故を減らすために黄色い旗?をまずは事故があった横断歩道におかせてもらったりそっから広げていったりしてるらしいです。
こないだの葬儀のとき、パパは長男なので出棺のときに1分くらいのスピーチをしました。
前日とかママとわたしも一緒に内容考えました。
わたしが考えた文章てか言い回しとか接続詞をきいて「さすが!いいね!」とそれになりました。
だけど、やっぱり自分の言葉じゃないから、ちょっと次の日直してスピーチすることにしたといっていました。
そして、出棺のとき。
こっちのほうが緊張しましたw
しかも、結局緊張の挙句、接続詞が「で、~」ってなっていましたが、自分の言葉で言えてよかったんだとおもいます。
お通夜のとき、パパの仕事関係の人たちがきてて、わたしも一緒に挨拶をしました。
そのとき、パパが、今まで父親に育ててもらった感謝の言葉を言う前に亡くなってしまって、それだけが悔やまれるみたいにいってて。
そこでわたしもママも、あとパパの仕事関係の方たちも涙目になってました。
わりと家ではひょうひょうとしてたし、ママにそっと「パパ落ち込んでないの?」ってきいてもずっと病気だったからね、っていってたけど、パパもやっぱり人の子供なんだなーみたいな。
わたしも親孝行しなきゃ!と刺激されたやさき、早速葬儀の次の日の水曜日から日曜日の今日まで外泊してました!!w
ちなみに木曜日は100人だか200人の前でパパは講演だったのですが、どうだった?ときいたら、やっぱり仕事で慣れてることは全然すらすらいえるねーっていっていました。
2.3時間の講演は簡単にできても、葬儀で1分間のスピーチは思うようにできないというパラドックス。
そんなこんなで、健康と病気は紙一重っていうか、健康に見えるのと倒れるのは紙一重なんだから気をつけてほしーっていうのがわたしの彼氏への願い!
タバコと睡眠不足はやめてほしー。
動機はなんであれ、明日「普通の人になろう!」っていって、朝ちゃんと起きるために「お互い起こしあおう」って提案するようになった彼は成長したな!とおもって嬉しかったです。
っていっても寝るのが遅ければ睡眠不足はかわらないけど。
病気になってから健康のすばらしさがわかるっていうけど、そんなことない!
病気になる前から、今のこの健康にみえる状態は今だけなんだーこれからこのままじゃ病気になってあの頃こうしておけばよかったんだーって思うんだろうな、って彼氏をみてると思います。
だけどやっぱり仕事はしないといけないし、そこはまたしがらみ。
前の彼氏のときもそう。
仕事が多忙すぎて結局病気になっちゃって。
それも社会構造をどうにかできたらなーっておもうけど。
そんなわたしは明日最後の学校です!
なんと11月からかりてる本を返しに。
最近、非通知で電話がくるとおもったら学校のメディアセンターからでしたー。
かえしてくれーって。