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小説短編集 【85】待ってよ ミスターポストマン(原稿用紙30枚)
※愛梨がスマホを持たずに外出するようになってから3ヶ月が過ぎようとしていた。一時的に回線停止の手続きもとっていたので、3ヶ月前から愛梨のスマホは電源も切れたままの状態で放置されていた。正直机の引き出しの奥に仕舞い込んでいたスマホを、愛梨は目にすることさえなくなっていた。
この3か月間大学やアルバイト先で愛梨のスマホが本人の都合で使えなくなっているとメッセージが流れていたけど、当初は何かあったのと心配して声が掛かることもあったが最近ではそれも無くなりつつあった。3ヶ月前今のような状況を愛梨は想像もしていなかった。
半年前まで愛梨は朝起きてから夜寝るまで、手元からスマホを離すことが出来ないくらいのスマホ依存症と言えるほどの日々が続いていた。そんな愛梨が、ある事を切っ掛けにスマホ依存症がスマホ恐怖症に様変わりしてしまったのだ。
今大学の先輩が現役時代に通っていたことのある心療内科に、愛梨は通院していた。動機、胸苦しさなど最近の愛梨は様々な自覚症状に悩まされていた。愛梨がそれらの症状を自覚するようになったのは、自身のスマホの画面で自身に関するSNS上での誹謗中傷の言葉を目にしてからだった。
当初は無視していればいいと割り切った対応をしようと試みたが、あまりにも執拗に繰り返される誹謗中傷の言葉の連続に、愛梨は自分の気持ちを上手にコントロールすることが出来ない状態に陥ってしまった。似たような話で友人の相談に乗ってあげたことがあったが、まさか自分自身が当事者になるなんて思ってもいなかった。
しかもSNS上で誹謗中傷の書き込みをしている人は、その内容からしても明らかに今の愛梨の周辺にいる人であることは容易に想像できた。それが分かった時点で愛梨は恐怖心に近い感情に支配されるようになってしまった。一体誰が?何のために?そればかりを考えていた愛梨は、やがて心身のバランスを少しずつ壊して行ってしまった・・・。
小説短編集 【86】ビヨンド・ザ・リーフ(原稿用紙30枚)
※芽衣が大磯海岸に来たのは3年ぶりのことだった。西湘バイパスを降りて大磯港まで行く道路から眺める風景は、それほど変わっていなかったことに芽衣は何となくホッとしていた。大磯港に車を停めた芽衣は、埠頭の突端まで一歩一歩足下を確かめながら歩いて行った。
夕闇が降りたばかりの埠頭には芽衣の気持ちを、より一層淋し気にさせるのにお似合いの暗闇が拡がり始めていた。そもそも芽衣が日本に帰って来たのが3年ぶりだった。大学卒業後ロンドンにある知り合いが営んでいた旅行代理店で働くために、芽衣は日本を後にしていた。
そんな芽衣が日本に帰って来たのは日本とロンドンとの間で遠距離恋愛を続けていた悠人が海難事故で亡くなったと言う知らせが、日本にいる大学時代の友人から入ったからだった。その知らせが入る1週間前、芽衣は長々と悠人とスマホの電池が切れるまで話していた。ところがその日から1週間後友人から台風が接近していて海に入ることが禁止されてた中で、大きな波を求めて悠人は沖まで独りで出て行ったとのことだった。
大磯海岸にあるサーフショップで働いていた悠人が、いつまでたってもショップの奥にあるアパートに帰ってこないことに気づいたショップのオーナーが、海岸に悠人を探しに行ったところ波打ち際に悠人のサーフボードが打ち寄せられていたのを発見した。
直ぐにオーナーが警察に届け出をして悠人の捜索が続いたそうだが、残念ながら今まで経っても悠人の姿が発見されることはなかった。その事実を友人から伝えられた芽衣は、取り敢えず仕事の引継ぎを済ませてロンドンから日本に向かったのだった。
ヒースロー空港から成田空港まで14時間に及ぶフライト中、芽衣はずっと瞳を閉じたままだった。芽衣の頭の中では、元気な悠人の姿が次から次へと現れては消えていた。思わず瞼の裏側に浮かんだ悠人に芽衣は声を掛けようとしたが、勿論芽衣の言葉が悠人に届くはずもなかった・・・。
小説短編集 【87】別れの時はフランソアーズ・アルディ(原稿用紙30枚)
※絵麻が大好きだった祖母の葬式が終わってから1週間が過ぎようとしていた。祖母が亡くなったのは6月11日だった。亡くなった祖母は3年前に祖父に先立たれていて、子供たちに迷惑を掛けたくないと自分から友人が入居している老人ホームに入居していた。
両親がまだ現役だったこともあり大学生の絵麻は、毎週日曜日には祖母のいる老人ホームに駆けつけていた。この3年間季節ごとのホームで行われていた行事に、絵麻は祖母と一緒に参加していた。お花見、夏祭りと、絵麻は祖母と一緒に楽しい時間を過ごしてきた。
そんな祖母は昨年末の転倒から大腿部を骨折して寝たきりになっていた。そして見る見る身体が弱って行き、最終的に誤嚥性肺炎であっけなく亡くなってしまった。それこそホームから病院に入院してから僅か10日間で、あの世に旅立ってしまった。
この1年間祖母は軽度の痴ほう症の症状も見せていて、感情の起伏を露にすることなどほとんどなくなっていた。車いすで外出しても以前は目を輝かせていたのに、最近ではぼんやりと無反応で虚ろな眼差しを当てもなく周囲に放っているだけだった。
そんな祖母のために、絵麻は唯一祖母が大好きな音楽を聴いている時に見せる笑顔を見るために、祖母の大好きな楽曲だけを録音したCDを作ってあげていた。そんなCDの中で祖母が一番繰り返して聴いていたのが、フランソアーズ・アルディの♪さよならを教えてだった。
こんな悲しい曲を聴き続けている祖母の想い出の1シーンに、どんな景色が拡がっているのか何度か絵麻は祖母に確かめたことがあった。だが祖母は何時の時も、はぐらかすような返事しかしてくれなかった。そして祖母が亡くなってしまった今となっては、とにかく祖母が大好きな曲だったという事だけが残ったのだった。更に偶然にもフランソアーズ・アルディが祖母と同じ今年の6月11日に80歳で亡くなったことを、短い外電のニュースで知った・・・。
小説短編集 【88】あの頃はビージーズだった(原稿用紙30枚)
※高校2年生の風香は初めて何の予定もない夏休みを迎えていた。高校入学時からバスケットボール部で部活に没頭して来ていた風香は、2年生の春から自覚症状が出ていた膝の痛みに耐えきれなくなっていた。医者から告げられた病名はジャンパー膝ということで、バスケットやバレーボールの選手たちによく現れる症状とのことだった。
取り敢えずクラブ活動を休止して膝への負担を減らすことから初めて、医者からストレッチのやり方やら初めて注射を使用したりと膝の回復に風香は励んでいた。すぐにでも痛みが引いて元通りの部活動に復帰できるつもりでいた風香だったが、現実はそんな風香の期待を裏切る状況が続いていた。
最近では医者からも長期戦で病気と向き合う覚悟を求められるまでになっていた風香は、これから始まる夏休みを、どう過ごそうか正直戸惑っていた。何しろ中学時代からバスケットボールを続けていた風香は、日常生活のほとんどをバスケットボールの練習に明け暮れていた。
夏休みになってから1週間とにかく部屋の中で安静にしていた風香は、ぼんやりとただスマホを眺めて時間を潰していた。そんな風香だったが、ある時それまで聴いていた楽曲を耳にすることが苦痛になっていた自分に気が付いた。
確かに風香のスマホの音楽ソフトのプレイリストに入れてある楽曲は、ほとんど部活動の行き帰りに聴いていた楽曲ばかりだった。言ってみればバスケをする風香のモチベーションを高めるための楽曲ばかりを、風香はプレイリストに入れていたのだだった。
そんなプレイリストは膝を故障して絶対安静にしていなくてはならない風香にとって、思わず耳を塞ぎたくなるように感じられるように変化していた。実際夏休みに入ってから自分から積極的にプレイリストを聴くことさえなくなっていた。
それまでの当たり前のような時間の流れが、ある日を境に一気に変わってしまったことは風香に幾つかの悪影響を与え始めていた。そんな中で風香には時折、何やら恐怖心に近い感情の起伏に悩まされる瞬間が訪れるまでになっていた・・・。
小説短編集 【89】Oneは一番悲しい数(原稿用紙30枚)
※高校2年生の洋貴は夏休みの間、高校主催の短期語学留学に参加していた。洋貴が行った先はオーストラリアだった。海外旅行の経験はあった洋貴だったが、1ヶ月間も現地で過ごすことは初めての経験だった。今9月に入り日本へ帰国して新学期を迎えていた洋貴は、いまだにオーストラリアで過ごした高揚感から解き放たれていなかった。
洋貴がオーストラリアで1か月間ホームステイさせてもらった家は、子供のいない老夫婦だけの家庭だった。どうやら毎年洋貴の高校からの留学生を受け入れていたせいか、それなりに日本語も理解できていて英語が堪能でない洋貴は随分と助かった。
そもそも父方も母方もいずれの祖父母たちも早逝していたため洋貴が70歳過ぎの老夫婦と一緒に生活したのは、それだけでも新鮮な経験になった。最初日常会話のやり取りにも不慣れだったこともあり、なかなか老夫婦とのコミュニケーションが活発になることはなかった。
ところがリビングの壁際に、ご主人の愛用のギターが置いてあったことで一気に老夫婦と洋貴の距離が縮まったのだった。それと言うのも洋貴は高校入学時から軽音楽部に所属して、気の合う同級生たちと一緒にバンドを組んで演奏していたのだった。
老夫婦たちは常に、洋貴に今日本の若者たちの間で流行っている音楽を聴かせて欲しいとリクエストしてくれていた。洋貴は個人的に熱心にコピーに励んでいた《あいみょん》の曲を、老夫婦に聴かせてあげた。評判は良かった。
やがて洋貴も折角ギターがあるのだから、老夫婦にも演奏を聴かせて欲しいと頼んだ。ギターを手にしたのは夫の方だった。夫のギターに合わせて夫婦で洋貴に歌を聴かせてくれた。老夫婦が洋貴に聴かせてくれたのは、スリードッグナイトの♪Oneという曲だった・・・。
小説短編集 【90】いちご白書とサークル・ゲ―ム(原稿用紙30枚)
※唯人は暗くなった生徒会室に一人で残っていた。さっきまで生徒会のメンバーたちと一緒に議論していたが、全く盛り上がることなく終了していた。今学校側から生徒会に制服への希望の取りまとめを求められていた。生徒会のメンバーたちのほとんどが無関心で、何の意見もアイデアも出ない状況が続いていた。
何故生徒会で生徒たちの制服に関する意識を取りまとめることとなったかと言うと、制服を巡る想定外の事実が発覚したからだった。それと言うのも永年PTA会長を務めていた人が、何と現在学校で採用している標準服の販売店から賄賂をもらっていたことが、学校への匿名の手紙を発端として判明したのだった。
それからの展開は早かった。学校側が立ち上げた再発防止委員会が出した結論は、これを機会に制服そのもの存続、変更等を議論するということだった。そんな流れの中で学校側とPTA側、制服納入業者側それぞれに置いて意見の集約を求められたのだ。
そんな中で生徒会にも生徒たちの制服に対する意見の取りまとめが、求められたのだった。正直3年生で生徒会長なんて引き受け手がいない中で、唯人は敢えて会長に立候補していたのだった。唯人は立候補の公約としてバイク通学の解禁を掲げていた。
ところが唯人の公約など全く検討されることなく放置されていたのに、今回の制服への対応は途中経過の報告が求められるほど学校側の強い関心事となっていた。恐らく色々な利害関係者が存在している問題だったからだったのだろうと、唯人は考えていた。
個人的に唯人は、高校入学時から指定された標準服を着用して通学していた。特別標準服を好んでいた訳ではなかったが、とにかく学校へ行く時に何を着て行くかなど考えるのが唯人は面倒だった。理由はそれだけだったし、そんな現状に不満を感じることもなかった・・・。