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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(247作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集  【78】ビーチボーイズが流れていた夏(原稿用紙30枚)


※ 悠成が高校を卒業して2度目の夏がやってきていた。高校卒業後悠成は、祖父が永年営んできていた自動車整備工場で働き始めていた。実は悠成の両親は悠成が祖父の自動車整備工場で、高校を卒業後いきなり働くことに最後まで反対していた。
 
 それと言うのもそもそも両親は、何を学ぶことになろうとも大学までは進学することを望んでいた。どうしても自動車整備工場で働きたいなら、せめて自動車整備の専門学校へ進学して、基本的な技術をしっかりと学んでからにするようにと最後まで悠成を説得しようとした。
 
 だが悠成が両親の説得に応じることは無った。実は悠成が祖父の自動車整備工場で高校卒業後すぐに働きたいと考えたことの背景には、特別の事情があったのだ。それと言うのも数年前から体力の衰えを痛感していた祖父が、永年続けて来ていた整備工場を閉めようと考え始めていたのだった。
 
 その話を悠成が直接祖父から聞いたのが、高校3年生になった時だった。本来なら大学受験勉強に専念すべき時期だったが、悠成は受験勉強に集中できないでいた。それというのも悠成にとって特別な場所であった祖父の自動車整備工場が閉鎖されるなんて、どう考えても悠成には受け入れらない話だった。
 
 悠成の家から徒歩で10分くらいの所に祖父の整備工場はあった。両親とも共働きだった悠成にとって、家から近くにあった祖父の工場が学校から帰ってからの遊び場だった。両親は工場は色々な機械があって危険だから、遊びに行かないようにと幼い悠成に話していた・・・。


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小説短編集  【79】作詞家が消えた日(原稿用紙30枚)

※大学4年生になろうとしていた陽太は、周囲にいる同級生たちが就職活動の話をしているのをまるで他人事のような感じで聞いていた。正直3年生の8月に自分が入社を希望する会社にインターシップとして参加している同級生たちもいたので、もうすぐ4年生になる今頃でも具体的な就職活動を一切していなかった陽太は正直仲間外れ状態だった。
 
 広島の高校を卒業して東京の大学へ進学していた陽太は、大学入学後すぐに東京にいた従弟の紹介でラジオ局でアルバイトを始めていた。もともと中学生の時からラジオの深夜放送を聴くのが大好きだった陽太は、今のアルバイトの仕事が大好きだった。
 
 そんな陽太は放送局への入社を考えていたが、ここ数年間放送局での新卒採用は行われていなかった。大学生で放送局でアルバイトをしている仲間たちは、大学卒業後番組制作の下請け会社で働く道を選択していた。陽太も出来れば自分も、そのような道を選択しようと考えていた。それは就職活動ではなく単なるアルバイトの延長に過ぎなかった。
 
 広島にいる両親から陽太の大学卒業後の進路についての特段の注文など一切無かったので、陽太は両親に大学卒業後は東京で就職するつもりでいることだけは伝えておいた。就職活動などせずに大学卒業後も陽太は、従弟から紹介されていた番組制作下請け会社で働き続ける積りだった。
 
 そんな陽太だったが、正直放送番組の制作側で働くことが最終的な目標ではなかった。実は陽太は中学時代から、いつかは作詞家になりたいと漠然と考えるようになっていた。大学進学の時も音楽制作の専門学校への進学とか、作詞を学べる通信教育の受講とか考えたが、専門性の修得は取り敢えず先送りしていた。
 
 中学生時代から書き溜めていた作詞は、500を超える作品数となっていた。大学生になってから陽太は自分の作品をオーディションなどに投稿してみようと考えたが、純粋に作詞だけでの作品での応募ができる機会には恵まれないままだった・・・。


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