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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(244作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集  【77】スティングが好きな君がいた(原稿用紙30枚)


※3月11日の土曜日、理久は夕方から家を出て有明アリーナに向かっていた。大学卒業後今の会社に入社してから初めてのコンサート鑑賞だった。スティングのコンサートだった。有明アリーナでのコンサート鑑賞は初めてだったので、理久は早めに家を出ることにした。
 
 《ゆりかもめ》に乗るのは大学時代毎年のように5月のゴールデンウイークに、お台場のオクトーバーフェストに来ていた時以来だった。有明テニスの森駅で降りた理久は、コンサート前に軽く食事でもしておこうと考えていたが、駅前には食事が出来そうな場所を見つけることが出来なかった。
 
 取り敢えずスマホでグーグルマップの案内通りに、有明アリーナに向かって歩くことにした。もっともマップを見るまでもなく多くの人たちの後ろについて歩いて行けば、コンサート会場に着けるだろうと、途中から理久はスマホをポケットに押し込んだ。
 
 アリーナに着いてから再びスマホでコンビニの場所を確認してから、理久はファミマまで移動した。サンドイッチと缶ビールを手にして、理久は東雲運河の見える所まで移動して運河沿いのブロックに寄りかかりながらビールとサンドウィッチを胃袋に放り込んだ。
 
 これから鑑賞するのは、スティングのコンサートだった。理久がスティングの音楽を聴き始めたのは大学に入学してからだった。スティングとの出会いは、よくあるストーリーで理久が好意を抱いていた大学のクラブの先輩がスティングが好きだったのが始まりだった。
 
 今から5年前大学へ入学した理久は、学生時代に何か楽器が弾けるようになりたいとの思いで軽音楽部へ入部した。ところがいざ入部してみると周囲の部員たちのほとんどは新入部員を含めて、全員がなにがしかの楽器を弾きこなしていた。そん中で理久は理久のようにふんわりとした入部希望の3人と出逢い、理久を含めて4人でバンドを組むこととなった。
 
 大好きなバンドのコピーをすることに決めた4人は、それぞれ自分の担当する楽器を決めることにした。それこそ話し合いで簡単に決まると理久は思っていたが、正直難航した。理由は、みんながギターの担当を希望したからだった・・・。



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小説短編集  【78】ビーチボーイズが流れていた夏(原稿用紙30枚)

※ 悠成が高校を卒業して2度目の夏がやってきていた。高校卒業後悠成は、祖父が永年営んできていた自動車整備工場で働き始めていた。実は悠成の両親は悠成が祖父の自動車整備工場で、高校を卒業後いきなり働くことに最後まで反対していた。
 
 それと言うのもそもそも両親は、何を学ぶことになろうとも大学までは進学することを望んでいた。どうしても自動車整備工場で働きたいなら、せめて自動車整備の専門学校へ進学して、基本的な技術をしっかりと学んでからにするようにと最後まで悠成を説得しようとした。
 
 だが悠成が両親の説得に応じることは無った。実は悠成が祖父の自動車整備工場で高校卒業後すぐに働きたいと考えたことの背景には、特別の事情があったのだ。それと言うのも数年前から体力の衰えを痛感していた祖父が、永年続けて来ていた整備工場を閉めようと考え始めていたのだった。
 
 その話を悠成が直接祖父から聞いたのが、高校3年生になった時だった。本来なら大学受験勉強に専念すべき時期だったが、悠成は受験勉強に集中できないでいた。それというのも悠成にとって特別な場所であった祖父の自動車整備工場が閉鎖されるなんて、どう考えても悠成には受け入れらない話だった。
 
 悠成の家から徒歩で10分くらいの所に祖父の整備工場はあった。両親とも共働きだった悠成にとって、家から近くにあった祖父の工場が学校から帰ってからの遊び場だった。両親は工場は色々な機械があって危険だから、遊びに行かないようにと幼い悠成に話していた・・・。


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